角川書店 岸山様より献本御礼
実業家が学校をつくる例は、今となってはそれほど珍しくなくなってしまった。有名なものでは前ワタミ会長で、東京都知事に立候補をしている渡邉美樹氏の「学校法人郁文館夢学園」が有名である。学校を建てるだけではなく、「夜スペ」で有名な杉並区立和田中学校の元校長である藤原和博氏が学校を運営すると言うのもある。
本書は「学習障害」を持つ子供たちのために塾や学校を立ち上げた男の自伝である。塾や学校を立ち上げた当時は、まだ最初に書いたような風潮はなかった。著者は民間で学校を作るという草分け的存在である。
第一章「日本で唯一の塾をつくる」
「日本初にして唯一の学校」を作る源流となったところである。「鶴ヶ峰セミナー(ツルセミ)」と呼ばれる塾を開いた。そこでは他の塾とは違い学力を上げるだけではなく「仲間を作る」「助け合う」「認める」といったことが盗聴であった。学校ではついていくことのできない人たちの「駆け込み寺」の役割を担うことができた。
第二章「日本で唯一の学校をつくる」
日本で始めてとなる「教育ベンチャー」がここから始まった。「ツルセミ」を運営していくうちに新たに「学校」をつくる構想が生まれた。それが「宮澤学園」である。
本章では宮澤学園創立までの紆余曲折を綴っている。官公庁との交渉から暴力団との交渉まで、奮闘を通り越して「激動」「死闘」というような状況を潜り抜けてきている所を見ると、宮澤学園の存在、もとい創立者である著者の凄さが印象づけられる。
第三章「闘う人生は10歳から始まった」
第二章をみただけでも著者の人生はまさに「闘い」だと疑う余地すらなかった。
とはいえ「闘う」といっても喧嘩をするわけではない。常に「逆境」や「「既存」という名の障害」と闘ってきたという意味で、「闘う」と言える。
著者はまさに「団塊世代」「全共闘世代」の一人である。そのことから「ベ平連」に入ったこと、さらには、チェ・ゲバラについても綴っている。
第四章「倒産、挫折、そして再起」
「宮澤学園」は軌道に乗り始め、ビジネス領域の幅を広げようとした。ちょうどそのころは「バブル景気」といわれた時代である。
しかし、その時代の中で部下の謀反という「急転直下」の出来事が起こった。不幸中の幸い立ったのは学園そのものを閉鎖させなかったことにあったが、多額の借金を背負ってしまった。債権者との闘いもあり、まさに「辛酸」を舐めさせられたといえる時代であった。
仲間に匿われながら自分自身を見つめ直し、99年に「星槎グループ」を北海道芦別市に作った。
第五章「日本で唯一。学校の中に町をつくる」
私は北海道出身であるが、「星槎グループ」の存在は本書で初めて知った。「星槎グループ」は幼稚園から大学まで不登校や発達障害などの生徒を対象にした学園である。その星嵯グループの中で大胆なアイデアや決断を下しながら日々新たな風を運んでくる。「逆転」の発想と校風は今でも根付いている。
「反骨の教育実業家」
本書を読んでいくうちに著者の印象をこう思ってしまった。「学校はこうあるべきだ」という固定観念を次々と打ち破り続け、今の教育ではできないことを模索し続けてきている著者の人生が強く映えた一冊であった。
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