日本経済の構造変動―日本型システムはどこに行くのか

日本経済は混迷を極めている。先ほどでも外国為替市場の円相場は戦後最高値を更新し、輸出だよりである製造業界では大きな痛手を負ってしまった。「失われた10年」から解放された今でも日本は「閉塞感」が拭えない。かつて江戸時代では「鎖国」により他国との関係を絶っていたが、この閉塞感では他国どころか他人との関係をも絶っている印象が強い。

与太話はここまでにしておいて、本書では日本経済の構造の変化について追っている。

第1章「日本型雇用はどう変わるのか」
「日本型雇用」は単純に言うと、バブル崩壊まで続いた「終身雇用制度」のことを言っている。バブル崩壊の後にはその雇用のあり方が大きく変化し、「非正規雇用」が急増した。とりわけ私たちの世代が割を喰らっているようにも見えるが、実はそうではなく雇用構造全体に対して変化をしているため、私たちだけではなく、その上の世代も割を喰らっているのが事実である。

第2章「多面的に進行する企業経営改革の行方」
ここでは「日本的経営」がいかにして成長を遂げ、バブル崩壊後には「功罪」となってしまったことについて取り上げられている。企業経営の変化も海外の経営の変化により変容している印象にあるが、そのまま模倣するような「外国かぶれ」ではなく、日本的経営の良いところと海外の経営の良いところを試行錯誤を繰り返しながら進んだ方がいいという。

第3章「産業構造の変化」
今でこそ日本では「ものつくり」や「観光立国」を主軸に産業が変化をしている。しかし著者はその両者とも批判的であり、その問題点を突いている。

第4章「脱バブル後の日本型金融システム」
金融システム、というよりも金融業界そのものが変化したのもバブル崩壊後であった。北海道拓殖銀行や山一証券が倒産し、2000年頃には大規模な合併が相次いだ「金融ビッグバン」も起こった。
本章では金融システムのあり方について「ミクロ」「マクロ」の双方からの変化について考察を行っている。

第5章「構造変動の最終ランナー」
構造変動を行う為には「官」「民」それぞれの形で改革を行っていく必要があるのだが、本章ではその「最終ランナー」、いわゆる「GOサイン」を出す者は誰かについて論じている。

第6章「中央依存から自立へ」
「中央依存」というと、言うまでもなく「霞ヶ関」、完了や政治家がすべてを権限を握るという構図を連想する。
本章ではそのような体制から地方でも自立できるような経済の構造にしていく必要があることについて論じている。

第7章「少子・高齢化と日本の経済社会の構造変動」
ここでは少し視点を変えて、人口構造から見た経済のあり方について考察を行っている。

本書が出版されたのは2006年3月。ちょうど「失われた10年」を乗り越え、再び上昇気流に乗ろうとしているところであった。あれから5年、日本経済は再び下降の一途を辿っている。その中で本書のような構造変化がどのように変化していったのか、どのような逆効果をもたらしたのかも検証する必要がある。本書はそのことについて考えさせられる一冊であった。

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