2010年4月7日
日本から遠く離れた「キルギス」と言う国で民衆が蜂起、時の政権はたった一日で倒れた。しかしその2ヶ月後には民族対立が激化、内紛となり数百人が死亡した。
かつてキルギスは冷戦終結後からロシアの干渉により様々な事件や紛争が起こったところとして知られている。しかし今回のそれとは訳が違っており、最初にもいったとおりキルギス国内、及び国民によって起こった政変であった。
本書ではニュースでも取り上げられた「キルギス政変」はいったい何だったのだろうかを考察している。
第一章「アカーエフの失敗と「チューリップ革命」」
キルギスが独立したのは1991年、そして本書のタイトルにあるアスカル・アカーエフが初代大統領に就任した。約15年という長期政権の中、革新的な政治が人気を呼んだが、長期になるにつれ、利権の占有など強権的な政治を行っていたことにより国内外で非難を浴びた。国内ではその非難のボルテージは年が経つにつれ高まり、それが頂点に達した2005年の大統領選挙の不正疑惑から端を発し「チューリップ革命」に発展した。
長期政権の「澱」が生み出した疑惑、そしてそれが上記に逸したものとなり、もう一つの革命の潮流を生み出した。アカーエフ政権の失敗とはそれなのかもしれない。
第二章「バキーエフの五年」
アカーエフの後任として選ばれたのが、クルマンベク・バキーエフである。そのバキーエフ政権はアカーエフとは対照的に保守的な政権であった。ましてやバキーエフは「個人権力」の確立の野望があったため、アメリカやロシアは警戒していた。
2010年の政変によってバキーエフ政権の終焉を迎えたのだが、そのきっかけの一つとなったのが息子への政権委譲にあった。しかももっと問題だったのは政権委譲そのもの委譲に委譲する息子であった。息子は2006年にビジネスマンに転身したが、それは名ばかりであり、本当はロシアを中心とした犯罪組織に荷担して荒稼ぎをしていたという。
それだけではない。公有地の売却などにより農村の生活が圧迫され、破産に追い込まれた農民も多発した。急速な資本主義によって日本とは比べものにならないほどの格差が生じたことも要因としてある。
第三章「民衆蜂起から民族衝突へ」
そして2010年4月7日がやってきた。バキーエフ政権は崩壊し、新たにローザ・オトゥンバエヴァが暫定政府を誕生させ大統領に就任した(7月に正式な政府の大統領に就任)。バキーエフはキルギスから脱出し亡命した。辞表に署名したと伝えられていたが、あくまで正式なものではなく、ましてやバキーエフと反バキーエフの対立が激化した状態のまま暫定政権が誕生したため、民族同士の衝突が起こり、内紛状態となった。
第四章「開いた傷口」
オトゥンバエヴァ大統領は暫定政権から正式な政権とし、民族衝突の収拾を図った。憲法の制定や連立政権など対立軸にあるようなものを排除しつつ、「自由」を標榜した政治を行った。民族衝突は次第に沈静しつつあるが、完全になくなったとは言えず、これからも続く。果たしてその衝突がなくなる日がいつになるのか、定かではない。
現在も動乱の続いているキルギスであるが、今年の大晦日には新たにアルマズベク・アタンバエフが大統領に就任する。4人目の大統領であるが、彼が大統領になったとき、キルギスがどうなっているのか、世界中でも注目が集まる。「キルギスの時計の針が進むのか、あるいは戻るのか」と。
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