喫煙と禁煙の健康経済学 – タバコが明かす人間の本性

最近では「禁煙」という言葉がヒステリックにいわれる印象がある。私は生まれながら喫煙をしたこともなく、煙を吸おうものならせき込んでしまうほどである。だからといって熱心に禁煙の風潮を強める気はさらさらなく、あくまで煙草は「嗜好品」であるため、本人が吸おうが吸うまいが人の勝手であり、かつ心の満足を満たすものである。名言として、

「喫煙家が禁煙家にかける迷惑は肉体的なものであるが、禁煙家が喫煙家にかける迷惑は精神的なものである。(林語堂)」

があるくらいでだから「煙草」は健康に悪いという科学的な見解よりも、むしろ心的な要因があるのかもしれない。
それはさておき、本書はその「喫煙」について経済学な見地から実体と理論、そして禁煙の実践についてを論じている。

第一部「実態編 喫煙で何が起きているのか」
まず言えるのは本書は喫煙を経済的な側面から「悪」ととらえているところから始まる。
その背景として特定の職業や趣味・嗜好について喫煙者が多い・少ないの傾向について国内外問わず、様々な文献をもとに分析を行っている。ただ、文献によっては実地で調査したものもあれば、その文献の著者自身の思想をひけらかすこともあり、なかなか信用しづらいこともある。しかしここで取り上げている文献の多くは前者の調査を批判的に分析をしているためある程度信頼できる。しかしあえて「ある程度」としている理由は調査や統計はサンプリングの数やとらえどころの違いによって結果や見方が大きく変わってくるため、一面的にとらえることほど危険なものはないからである。

第二部「理論編 喫煙者は合理的かそれとも非合理的か」
個人の嗜好(嗜癖)について文献をもとに本章のタイトルのことを論じている。ここはあくまで「理論」であるため、そこから実践をしていく基礎として本章をとらえる必要がある。
経済学的に「個人」を考察する、もしくは嗜好を考察することを考えると「心理学」や「精神学」の学問領域に片足をつっこむような内容になる。
その禁煙の心理と、成功する・しないのメカニズムについての考察も行っている。

第三部「実践編 禁煙を経済学的に考える」
いよいよ実践編である。しかしそれ以前にタバコ課税やタバコ広告禁止、禁煙治療についてを論じた後に、自らの禁煙体験と実践について取り上げている。「経済学的禁煙法」という名前を使っているが、意思決定として火災や便益について「経済」を考えて、そこから始めるときには「経済」とは無縁のタイミングを使う、という方法である。

おそらく世界的、とりわけ先進国を中心に「禁煙」のムードは高まっていくだろう。当ブログのもう一つの看板である「F1」でも喫煙広告を厳しく規制しており、フェラーリのタイトルスポンサーの「マルボーロ」もチーム名ですら名乗らせてくれない、ましてや現在活躍しているロータス・ルノーも車体カラーが現在の形(1980年代に「ロータス・ルノー」で活躍したデザインと同じ)変更になるやいなやカナダでは違法ではないか、と言う声も囁かれた。「禁煙」は健康的にもよい側面もあれば、経済学的にもよい側面は存在する。本書はそういったことを教えてくれる。