政治家は人それぞれの「思想」によって、その思想と合致する政党に入り、そこから政治的な主張や政策を構築し、実行していく。その思想を「転向」する事もあり得るが、それが政治家として国民に対する「裏切り」としてメディアや他の政治家が糾弾することも少なくない。
本書で紹介するドイツの首相であるアンゲラ・メルケルは当初原発推進派として、原発開発に積極的だったのだが、東日本大震災による福島第一原発事故の惨状の情報を知り、すぐさま反対派に転向した。
本書はメルケルが一瞬にして原発推進から反対に「転向」したのだろうか、ドイツの原発事情と日本人とドイツ人の考え方の違いなど様々な角度から考察を行っている。
第1章「甦るチェルノブイリの記憶」
ドイツのメディアでは派に衣着せぬ傾向にあるのだが、福島第一原発事故でも「世界の終わり」「黙示録」となぞられて取り上げられるほどであった。ドイツでも日本に滞在している人に対し、いち早くドイツに戻るようにという情報まで流れてきたほどである。
しかしよく考えてみるとチェルノブイリの事故もあったにも関わらず、2011年ほど対応はできなかった。元々ソ連は社会主義国であり、かつそのことにより情報は隠蔽したことにより、リアルタイムで情報を受け取ることができなかったことが挙げられる。
第2章「ドイツ原子力四〇年戦争」
元々ドイツと原子力発電の関わりは50年以上に及ぶ。その10年後から原子力推進と反対との対立が始まり、今日まで40年にも及んでいたため「四〇年戦争」と言われた。
この原子力推進と廃止に関する二項対立は政治的な「右派」と「左派」とがはっきりと分かれる構図となった。
第3章「フクシマ後のリスク分析」
福島第一原発事故からわずか4ヶ月で2022年までにすべての原発を廃止することを決定し、さらには太陽光発電開発を急速に推し進め、2012年5月25日には原発約20基分もの発電量の世界記録を樹立した。
ドイツでも日本でも原発事故直後に様々な観点から「リスク分析」を行ってきた。その「リスク分析」の方法と日本とドイツの政府が行ったリスク評価の考え方の違いが数多くあり、本章ではそれを取り上げている。
第4章「はじめにリスクありきー日独のリスク意識と人生観」
原子力のみならず、様々な発電施設には「リスク」を伴う。原子力は原発事故による多大なリスクはあるのだが、そこで火力発電にシフトしても二酸化炭素の量もある。太陽光発電も永久的に発電できる者ではなく、かつ晴れの場合にしか発電できない。ましてや東京のように梅雨や夏場は湿度も高く、思った以上の発電量をまかなえない。エネルギー政策はおそらく袋小路に立たされていると言っても過言ではない。
エネルギーのみならず様々なところに「リスク」は存在しており、我々はその「リスク」から逃げ出すことは不可能である。本章は日本人とドイツ人のリスクに対するとらえ方とその行動の違いについて取り上げられている。
おそらく日本の原発事故はこれからも社会問題の一つとして取り上げ続けられることだろう。しかしそれを直面してかからないと、ただでさえ最良の策は皆無に等しいエネルギー対策がより迷宮入りの様相を見いだしてしまう。本書はドイツの考え方を紹介しているだけであり、それを日本人である私たちがどのように受け取るのかにかかっている、と言える一冊である。
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