ドローンの哲学――遠隔テクノロジーと〈無人化〉する戦争

ドローンは今となっては私たちでも簡単に手に入れられるようになったのだが、かつてはドローンという概念がなく、なおかつ認知され始めた時には事件が起こるなどむしろネガティブな印象でしかなかった。今では撮影などの様々な用途で使われることがあるのだが、その一方で、戦争の兵器として扱われる危険性もある。本書ではそのドローンについて哲学的な観点で考察を行っている。

第1章「技術と戦術」
技術において哲学的にどのようにして考察を行うかというのは、最新技術が出てくる度に行われているのかもしれない。そもそもドローンはどのような技術なのか、そしてドローンにおけるシステム的な脆弱性や戦争における戦術について取り上げている。

第2章「エートスとプシケー」
ドローンを兵器として挙げられることはむしろネガティブな印象としてある。そもそも最新技術と戦争はリンクしている部分があり、よく使うインターネットも戦争によってつくられたことは有名な話である。

第3章「死倫理学」
哲学や倫理学の中には人の「生死」に関わるような事柄も避けて通れない。ドローンにおける戦争を行うことにより、「生死」の定義はどのように変わってくるのかを取り上げている。

第4章「殺害権の哲学的原理」
物騒な章である。そもそも殺害権があるというと、法律的にどうなるのかという考えをもたれてしまうのだが、本章ではあくまで「哲学」である。哲学的な観点で「殺害」はどうなるのか、そして戦争における「殺害」がなにを意味しているのかを論じている。

第5章「政治的身体」
軍事的ドローンをつくることによって政治的に変わるのか、そして政治的にも戦争はどのような関係性なのか、そのことを取り上げている。

本書はドローンそのものの哲学ではなく、ドローンによる戦争と倫理による哲学が中心となる。もともとドローンが一般化する前の1973年のベトナム戦争を教訓に無人兵器計画に対する哲学的な批判を行っていたことがあり、本書はドローンが定義化されて、改めて軍事的な利用への危惧を表している。