昨今では「福島第一原発事故」の事が報道されがちであるが、この季節は日本でもっとも電気を使う季節と言える。全国的な猛暑になり、扇風機やクーラーを使う季節である。そのような理由により、このような季節になると「計画停電」を行うところも出てくる。そうなったときもそうなでないときも、メディアや国民は批判やヤジを飛ばす。
とりわけそういった電力会社に勤めているだけで、一種の「差別」を被ることさえある。しかしそこの経営者ではなく、電力供給の最前線に走る「電力マン」たちの群像を追っている。
第一章「火力発電所の「廃墟」にて」
今となってはもっとも電力を供給する発電は「火力発電」となった。しかし「火力」とはいっても「石炭」や「石油」「天然ガス」など原料によって異なる。かつては石炭だったが、公害病などが話題となり、「石油」に切り替わった。その「石油」も世界的な競争が熾烈なものになり、天然ガスへ。それも国際競争に巻き込まれた。長きにわたって火力発電所が老朽化し、その役目を終えた発電所も少なくなかった。
しかし原発事故のあと、原発に代わる電力は急に使えない。作らなければ命に関わる。信号機が消え交通が壊滅的になり、何よりも医療器具が使えずのたれ死にする人も出てくる。
そのため、役目を終えた発電所を再稼働して、電力不足による大規模停電「ブラックアウト」を何としてでも避けるべく東北電力は全社を挙げて動いた。
第二章「東北電力の信念」
TVでは東電の批判がやまない。確かに東電のトップによる非はあるが、そのことと「東電差別」は別問題である。おそらくこの原発事故のもう一つの「被害者」と言えるべき姿、そう電力会社の末端社員たちが受けた運命である。
本章ではその悲惨な運命となった電力会社社員を取材したものが中心となる。
第三章「知られざる大赤字」
火力発電を行うための石油や天然ガスは年々値上がりしている。この2つは世界的にも激しい資源獲得競争に巻き込まれたことにある。
第四章「自然エネルギーの実力はいかに」
原発事故以降、エネルギーとして注目される「自然エネルギー」、中でも「太陽光発電」が脚光を浴びている。企業、あるいは地方公共団体単位で構想を挙げ、行動を起こしている。しかし「夜や雨の日は発電できない」「夏の日差しは発電能力が落ちる」という弱点があり、供給できる電力は日によってまばらである。電力が供給できない日が続くとたとえ太陽光発電を量産しても「ブラックアウト」の危険性がある。
第五章「夢の放射能除去」
発電技術から少し離れて、今度は「放射能除去」の話に移る。その除染に関して「宇宙戦艦ヤマト」に出てくる話を取り上げている。まるで「夢」のような話であるが、現実に「放射能消滅処理」や「核変換技術」の研究を「JAEA(Japan Atomic Energy Agency:日本原子力研究開発機構)」で行われていることを取り上げている。
最後にこの言葉を紹介する。
「今、日本の原子力政策は、誰も舵を取っていない難破船です」(p.161より)
私たちはこの言葉を肝に銘じなければいけないほど胸に突き刺さる言葉である。
第六章「正しく恐れよ」
発電技術だけではなく、様々な技術やノウハウには「メリット」と「リスク」が存在する。「ハイメリット・ノーリスク」と呼ばれるものはこの世に存在しない。
「正しく恐れること」はおそらく私たち国民にもっとも突きつけられるべき課題であろう。メディアや呼びかけに先導されて暴論にすがりつき、傾倒する。その難点や現実という眼を無視してでも、その考えを押し通そうとする人がいる。
私たちの生活のなかで電力は欠かせない。それはその電力を生産している電力会社もまた然りである。その恩恵を受けて生活をしていること、そして今日の電力が使われていることを忘れてはならない。そう警告した一冊と言える。
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