シリーズ「『貞観政要』を読む」~10.巻九<征伐><安邊>~

<論征伐第三十四>

「征伐」は簡単に言うと他国への「戦争」を意味します。「天下太平」にほど近い太宗の時代でも他国への侵攻もありましたが、他国からの宣戦を受けることもあり、戦禍は絶えませんでした。

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太宗謂曰:「我與突厥面自和親,汝則背之,我無所愧,何輒將兵入我畿縣,自誇強盛。我當先戮爾矣。」思力懼而請命。蕭ウ(王へんに兎)、封德彜等請禮而遣之,太宗曰:「不然。今若放還,必謂我懼。」乃遣囚之。
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太宗が王に即位して間もないときは派閥争いなど内外で争いが残っていた時代でした。

和睦を結んだ他国もそれを裏切り、戦争を仕掛けた国もあったほどです。ほどなく太宗の国に捕らえられますが、それでも命乞いなどを行う人もいました。

しかし太宗はそれを許しませんでした。処刑する、とまではいかなくても厳罰に処したと言われております。

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太宗《帝範》曰:「夫兵甲者,國家兇器也。土地雖廣,好戰則民雕;中國雖安,忘戰則民殆。雕非保全之術,殆非擬寇之方,不可以全除,不可以常用。故農隙講武,習威儀也;三年治兵,辨等列也。是以勾踐軾蛙,卒成霸業;徐偃棄武,終以喪邦。何也。越習其威,徐忘其備也。孔子曰:『以不教民戰,是謂棄之。』故知弧矢之威,以利天下,此用兵之職也。」
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太宗は唐の王である傍らで、著述家の側面もありました。
ここで紹介される「帝範」もその一つです。

その「帝範」の中でかかれたものとして、「兵(隊)は凶器であり、戦を好めば民は疲弊する」という言葉があります。

そうであれば「平和」がもっとも尊い存在でありますが、その「平和」もまた害をなします。それは軍備を怠り、無防備の状態をさらすことになり、それが国民の反乱や他国の侵略を許すことになってしまいます。

いかに現在の世の中が「平和」であったとしても、いつ戦争や反乱が起こるかわかりません。そのことの為に軍を持つことは「戦争」「平和」双方の害を和らげるために重要な役割を担っております。

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侍臣奏言:「馮アウ(央かんむりに皿)、談殿往年恒相征伐,陛下發一單使,嶺外帖然。」太宗曰:「初,嶺南諸州盛言アウ(央かんむりに皿)反,朕必欲討之,魏征頻諫,以為但懷之以德,必不討自來。既從其計,遂得嶺表無事,不勞而定,勝於十萬之師。」乃賜征絹五百匹。
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軍をもって力で制そうとしても国を疲弊させるだけです。しかしそれを防止するための方法として、使者を一人送って和平を図る(説得をする)ことを行いました。

その結果、両国に一人の死者も出さず、なおかつ戦わずして戦争を終わらせました。

この「説得する」ことは国益も絡むため、それを行うのは非常に難しいことであり、かつ使者も殺される可能性もありました。太宗自身もそれには消極的で、全面戦争を考えていましたが、諫言により、それを覆しました。

「恩徳」を尽くすことによってねばり強く説得をすると、必ず、相手の心にも伝わり、説得に応じられると踏んでの判断だったと考えられます。

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貞觀十七年,太宗謂侍臣曰:「蓋蘇文殺其主而奪其國政,誠不可忍。今日國家兵力,取之不難,朕未能即動兵衆,且令契丹、靺鞨攪擾之,何如。」
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唐の隣国である朝鮮半島の「高麗」という国では臣下が主君を殺し、政権を奪ったと言います。太宗はそれを許しませんでした。しかしここではあえて侵攻しようとはせず、むしろ傍観をしたのだそうです。

兵力は高麗よりも圧倒的に多く、かつ強さをもっていましたが、あえて戦わないのは昔の話で「矛を止めて用いないのが武である」ということを体現したと言えます。

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貞觀二十二年,太宗將重討高麗。是時,房玄齡寢疾增劇,顧謂諸子曰:「當今天下清謐,鹹得其宜,惟欲東討高麗,主為國害。吾知而不言,可謂銜恨入地。」遂上表諫曰:臣聞兵惡不治,武貴止戈。當今聖化所覃,無遠不泊。上古所不臣者,陛下皆能臣之;所不制者,皆能制之。
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先ほどの話から5年後のことです。高麗の蛮行に痺れを切らした太宗はとうとう高麗に対して征伐しようと決めようとしました。

しかしそれを病に伏しながらも上奏文でもって諫める臣下もいました。その臣下の諫言に心を打たれ、征伐を行わなかったそうです。

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且兵,兇器;戰,危事,不得已而用之。向使高麗違失臣節,而陛下誅之可也;侵擾百姓,而陛下滅之可也;久長能為中國患,而陛下除之可也。有一於此,雖日殺萬夫,不足為愧。今無此三條,坐煩中國,内為舊主雪怨,外為新羅報仇,豈非所存者小,所損者大。
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兵(隊)は凶器であり、かつ戦争は国を滅ぼしかねない危険なものです。それを行うことを最小限にすることが大切だと言います。

兵を使って諫めることも一つの手段ですが、説得をするなど無血で解決する手段もあります。

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昔秦皇並呑六國,反速危禍之基;晉武奄有三方,翻成覆敗之業。豈非矜功恃大,棄德輕邦,圖利忘害,肆情縱欲。遂使悠悠六合,雖廣不救其亡;嗷嗷黎庶,因弊以成其禍。是知地廣非常安之術,人勞乃易亂之源。願陛下布澤流人,矜弊恤乏,減行役之煩。徳雨露之惠。
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誅するための戦争もあれば、「秦」王朝にあったように、自らの利益への欲望のために戦争を起こした国もありました。

その国は中国大陸を統一するほどの大国にまで成長しましたが、ほどなく滅ぼされました。

<論安邊第三十五>

安寧について議論をしたところです。

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因謂侍臣曰「中國百姓,實天下之根本,四夷之人,乃同枝葉,擾其根本以厚枝葉,而求久安,未之有也。初不納魏征言,遂覺勞費日甚,幾失久安之道。」
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国の資本は「民」です。その民には様々な民族がいるため、それらを平等に接し、親切にすることによって安寧な国にする事ができるといいます。

しかしそのバランスがどれか一つでも崩れてしまうと、内乱が起こるなど国が傾きかねないことに発展してしまいます。

国もそうですが、組織としても上に立つ者は平等に接すること、誰でも親切にする事は大事なことと言えます。

(巻十へ続く)

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<参考文献>

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<引用サイト(白文すべて)>

維基文庫、自由的圖書館より「貞観政要」

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