働くスタイルもそうであるが、「働く意識」も時代とともに変化をしている。最近では「豊かになりたい」「生活のため」「終身雇用」があたりまえであり、「会社のために働く」というのがメジャーだったのだが、時代や情勢は常に変化するものであり、私たちの世代の働き方や働く事への「考え方」も変化した。
本書は私たちの世代がなぜ「働き方」や「働く意識」に変化が生じたのかについて考察を行っている。
第1章「若者は社会の変化に順応できるか」
高度経済成長、そしてバブル経済と好景気と呼ばれる時代が終わり、それとともに大企業も必ず「安定している」とは言えない状態となった。大中小かかわらず、企業では「リストラ」が行われており、定職につくことさえ難しい状況になった。
もっというと私たちの世代にあって一つ二つ上の世代にないものはインターネットであり、SNSの存在である。その影響もあるのだが、それが増えた要因として「共同体」つしての「閉塞感」が漂っているように思えてならない。
「閉塞感」や「倦怠感」がはびこる時代のなかでどのように社会に順応できるか、もしくは作ることができるのかが大きな課題と言えよう。
第2章「若者の「失われた十年」とインターネット」
私たちの世代が働き始めたのはちょうど小泉政権以後の時である。その時代はインターネットの利用が急速に伸び、ホリエモンをはじめとしたIT起業家も出てき始めた。インターネットを利用して、就職活動をすることもあれば、それを仕事の道具として、生活道具として利用することもできるようになり、コミュニケーションのありかた、さらには生き方そのものも変化を起こした。
第3章「若者の働く意味の変化」
その変化の中で際だっているのは「嫌消費」である。決してある国が「不買運動」のデモを起こすような事はしないが、自然と「欲しがらない」ようになった。ものが豊かになった、ということも原因として挙げられる。
形のある「モノ」への消費指向が薄れている今、私たちの世代は何のために働いているのだろうか。かつての世代は「豊かになること」「生活のため」、というようなものがあったのだが、現在では「スキルアップ」や「キャリア構築」「楽しむ」といった考え方へと変わっている。
第4章「総中流社会に代わる若者の居場所」
団塊の世代が労働の中心にいた頃は「一億総中流」というのが考え方の主流になった。しかしその考え方、スタイルはバブル崩壊とともに崩れ、「下流化」が進んでいる。その中で私たちの世代の居場所はどこにあるのか、少し前に取り上げた「生き場を失う日本人」のようにアジアなど海外なのか、それとも日本のどこかに居場所があるのだろうか、それは私たちの世代の中にあるのかもしれない。
「働く」ということへの意識は時代とともに変わる。それは文化の成長によるものもあれば、経済や技術、社会情勢など複雑な要素を絡んでいる。それを否定と見るのか、進化と見るのかそれは当ブログを呼んでいる皆様次第である。
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