中国大陸には様々な哲学者や詩人も多数輩出している。哲学者で言うと有名どころでは孔子や孟子がいる。詩人というと杜甫や李白がいる。
しかし詩人の有名どころではもう一人「白楽天」という詩人がいる。中国大陸で「唐」の時代に活躍した詩人、かつ官僚であり、日本にも影響を与えたとされている。しかしこの「白楽天」は知っている方は、孔子や李白ほどあまり多くない。
本書は白楽天の生涯と思想について「伝記」という形で取り上げている。
第一章「エリート官僚の誕生―元和新政の申し子」
白楽天の本来の名前は「白居易(はくきょい)」という。「楽天」は字(あざな)であるという。今ある大企業の「楽天」はここから名付けられているのかというと、織田信長が作り上げた「楽市楽座」から来ているという。
話を戻す。小さい頃から「博学才頴(はくがくさいえい:広く学問に通じていて、才知が非常に優れていること)」と呼ばれており、小さい頃から詩を作り始めた。その後に、官僚となり、官僚の激務の傍ら詩を作り続けた。俗に言う「エリート」と呼ばれる所以となった。
第二章「流行詩人の登場―新しい表現の旗手」
唐の時代の中で最も多くの詩を遺していったと言われる。その確固たる証拠として「白氏文集」があり、全75巻もある。奇しくも巻数は自らの享年と同じようになるとは思ってもいなかったのかもしれない。(ちなみに現存する巻数は71)
詩集は商品化され、中国大陸中で話題となり、人気を集めた。わかりやすさと時代に即した詩は広く唐時代の国民に受け入れやすかったことがあげられている。
第三章「諷諭(ふうゆ)と閑適(かんてき)―公と私」
「諷諭」とは何か、調べてみると、
「1.他の事にかこつけて、それとなく遠回しにさとすこと。
2、比喩法の一。たとえだけを提示して、その本義を間接的に推察させる方法。」(goo辞書より。「風諭」とも書く)
という。若かりし頃の「詩」は、俗に言う「諷諭詩」と呼ばれており、いわゆる風刺画のように、詩でもって政治や社会を批判したり、実相を明かしたりするような作品が多かった。
官僚になりたての頃は官僚の仕事、及び詩作家としても充実しており、順風満帆と呼ばれる時期だった。しかし時代は過ぎ、陰りを見せるようになったのは、母の死がきっかけにある。そこから越権行為により、官僚としても閑職を転々とし、詩を作るモチベーションも下がり、人気が無くなってしまった。その頃から「諷諭詩」から「旅」にまつわる詩を作り始め、人生、友情、文学など既成の価値観にとらわれない自由な詩を作るようになった。
第四章「生きるよろこび―自足する晩年」
友情や生きる事への考え方を見出し、官僚を続けたのだが、やがて中央政府との権力に距離を置くようになり、「白氏全集」の編纂を始めるようになった。それから官僚を引退し、白氏文集が完成した後にこの世を去った。日本の「枕草子」や「源氏物語」などに影響を及ぼすようになったのはその後の事である。
「白氏全集」は現在邦訳も行われており、手に入れられやすい。私自身も「白氏文集」を読んだことは無いおろか、白楽天自体、本書に出逢うまでは知らなかった。中国大陸における詩の中で日中とも受け入れられら白楽天の詩は1000年以上の時を経て、今でも生きること、風刺をする事の重要性を教えてくれるような機がしてならなかった。
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