温泉文学論

「温泉」というと「憩いの場」とか、「癒しの場」というような役割を担っている。本書のタイトルである「温泉」を舞台とした文学作品を中心に取り上げているが、温泉と文学というと関連性がないようであるように思えてならない。作家が作品を仕上げるために温泉旅館に缶詰になる事もあり、温泉を舞台にした作品を生み出しやすいといえるのだが、それも温泉文学が寄与したとも考えられる。

第一章「尾崎紅葉『金色夜叉』・・・・・・熱海(静岡)」
尾崎紅葉の代表作と呼ばれる「金色夜叉」だが、熱海を舞台とした小説として有名であるが、元々はアメリカの通俗小説がネタとなっている。しかしネタにするとしてもどこが舞台となるかというのが考えなければならないところであるのだが、なぜ熱海を選んだのか。もちろん熱海に行ったことは日記として書いてあるのだが、その目的は子供の夭折による傷心旅行だったと著者は推測している。

第二章「川端康成『雪国』・・・・・・越後湯沢(新潟)」
川端康成の代表作であるのだが、実際に有名なのは冒頭部分だけで、中身を見ると官能小説と遜色ないものである。実際に本章でも「R-18指定の成人小説(p.38より)」と書いてあるほどであるのだから。
「雪国」というと東北や北海道を思ってしまうのだが、実際の舞台は新潟の越後湯沢である。現在はスキー場などウィンタースポーツが盛んなところであるのだが、一昔前までは雪で閉ざされた場所であった。

第三章「松本清張『天城越え』・・・・・・湯ヶ島(静岡)
川端康成『伊豆の踊子』・・・・・・湯ヶ野(静岡)」
静岡の天城峠について著者自身の思いで話も綴られているが、自分自身では想像もできないほどの苦労話だったといえる。いま自分がやろうと思ったらできないと言っても良い。
本章の話に移るのだが、両方とも天城峠を舞台にしている。しかし両方とも天城峠を舞台にしているのにも関わらず、それぞれ湯ヶ島と湯ヶ野と異なる舞台になっているのはなぜか、というのも気になるのだが、それも本章にて言及している。

第四章「宮澤賢治『銀河鉄道の夜』・・・・・・花巻(岩手)」
宮澤賢治は地元である岩手を舞台とした作品を数多く残しており、「銀河鉄道の夜」はその代表作の一つである。その岩手にある「花巻温泉」を舞台にしている作品だったのだが、元々花巻温泉について宮澤賢治は批判的だったという。

第五章「夏目漱石『満韓ところどころ』・・・・・・熊岳城・湯崗子(中国)」
本書は温泉文学として全国津々浦々の温泉を舞台にした作品を取り上げているのだが、本章だけは中国大陸を舞台にしている。その中でも熊岳城(ゆうがくじょう)と湯崗子(とうこうし)の温泉を取り上げている。

第六章「志賀直哉『城の崎にて』・・・・・・城崎(兵庫)」
兵庫県の城崎温泉が舞台となっているが、「城の崎にて」は元々代表作である「暗夜行路」を書く以前に当時の山手線(十条駅や烏森駅、赤羽駅が通っていた時代である)で電車にはねられ入院し、療養のために本書で紹介される温泉に療養しに行った時に出てきた小説である。もちろん当時のエピソードも「城の崎にて」の中で事細かに綴られている。

第七章「藤原審爾『秋津温泉』・・・・・・奥津(岡山)」
藤原審爾(ふじわらしんじ)は戦後間もない頃から小説家としてデビューし、純文学・エンターテインメント・中間小説まで幅広い小説を描くオールラウンダー的な役割を担い、「小説の名人」と呼ばれていた。藤波辰爾の小説の中で初期の名作としてあげられるのが「秋津温泉」である。1947年に刊行されたが、当時の世代というともっと有名なのが1962年に映画化された同名の作品がある。

第八章「中里介山『大菩薩峠』・・・・・・龍神(和歌山)、白骨(長崎)」
中里介山(なかさとかいざん)は戦前までに活躍した小説家であり、この「大菩薩峠」は大正時代初期から大東亜戦争が行われる前まで書かれた「未完の作品」である。長きにわたって連載されているため、その長さは長編小説の括りを超越しており、あるとしたらジャンルこそは違うのだが、栗本薫の「グイン・サーガ」に近いと言えるかも知れない。現在は著作期間も切れているため、青空文庫でも閲覧できる。

第九章「坂口安吾『黒谷村』・・・・・・松之山(新潟)」
坂口安吾は戦前・戦中・戦後に渡って活躍した小説家であるが、純文学や歴史小説、エッセイとジャンルを問わず作品を生み出し続けているが、もっとも最近では推理小説の印象が強い。というのは元々少年時代の時は熱烈な推理小説の読者であり、楽しむあまり自らも推理小説を描き始めたという。その坂口安吾が「黒谷村」を生み出したのは1930年の時である。

第十章「つげ義春『ゲンセンカン主人』・・・・・・湯宿(群馬)」
本書で紹介される作家の中で唯一存命の作家がつげ義春氏である。つげ氏は小説家というよりも、漫画家であり、随筆家である。ちなみにこの「ゲンセンカン主人」は小説では無く「短編マンガ」である。マンガとは言ってもバカにはできず、前世や因果など仏教のテーマをモチーフにしており、恐怖マンガのように見えてなかなか奥が深い作品と言える。その舞台となったのが群馬の湯宿温泉(ゆじゅくおんせん)であるという。

作品は作家がそれぞれ赴いたところで色々と感じ、作品を作り上げていく。温泉も例外では無く、それぞれが自ら温泉地に事情も含めて赴き、体験したことにより、名作を生み出したと言える。温泉がいかにして文学作品を生み出していったのか、興味深い一冊と言える。