かなり変だぞ「クラシック通」

私自身クラシックを聴くことが多いのだが、本や雑誌を読んだり、実際に演奏会に行ったりしてみると、「クラシック通」なるものがいる。私自身も中学の頃からずっとクラシックに触れているのだが、別に「クラシック通」と言うわけでもなく、あくまで「クラシックが好き」と言うことで趣味にしていることだけは付け加えておく。

実際私自身、クラシックの演奏会に足を運ぶことは年に2回あるかないかという状況だが、その際に出くわすのが「自称クラシック通」と呼ばれる存在である。どういう人なのかと言うと、観客の中には作曲家や曲に関して開演前にうんちくをひけらかす人が中にいる。実際に私自身もそれに辟易したことを記憶している。

前置きが長くなってしまったが、本書はクラシック界に蔓延る人々の存在について糾弾している。

第一章「そもそも……」
「クラシック通」に最も多いのが、「クラシックこそ世界最高の芸術だな」と言うことを話す人がちらほらいる。自分自身は単純に「クラシック好き」というだけで、他のジャンルの曲もよく聞くし、好きなものもあれば、二度と聞きたくないような嫌いなものもある。
とはいえ、八方美人でも、排他的なオタクでもそういう人はあまり感心せず、他にも楽譜の読める・読めないことを話す人も著者は糾弾している。

第二章「ホール・劇場にて……」
これはホールや劇場に行く人にしか分からないのだが、演奏会は大概平日であれば夜、休日であれば昼、または夜に行われることもある。そこに行くとプログラムが配られたり、場合によっては販売されたりする事があるのだが、音楽とは関係無い広告もある。他にも観客もそれぞれなのだが、著者はそれらに関して糾弾している。
ただ一つだけ当事者として見過ごせないのが、広告ページが多いと言うことを糾弾したことであるのだが、これはプロの管弦楽団は不明だが、アマチュアの管弦楽団の場合は会場費をまかなうために、チケット代だけではまかないきれない。そのため広告を集めることで、広告費を稼ぎ、会場費はもちろんのこと、エキストラなどの人件費などをまかなう必要がある。そのため、広告ページが増えてしまう現状がある。なぜ「当事者」と言ったのかというと大学時代オーケストラのサークルに所属しており、広告を集める作業といった事をやったことがあるためである。

第三章「聴衆のみなさん……」
聴衆の中にも著者の癇にさわるような人がいるという。うんちくをひけらかすような人もいれば、値踏みをするような人、さらには拍手や聴き方などについても批判している。
拍手で一つ印象に残ったものがある。

第四章「チケットについて……」
チケットは演奏する楽団によるが、アマチュアの管弦楽団だと楽器店などで販売すると言ったことをやる。もしくは団員やエキストラが手売りで販売するということをやったこともある。
ただ、プロやセミプロの場合はチケットサイトで販売するといった事があるのだが、前売りやネット・電話予約におけることについての批判を行っている。

第五章「演奏家のみなさん……」
本章ではプロ演奏家・指揮者、さらにはその卵と言える音大生についてくさしている。どのようなことをくさしているのかというと、ニュース番組でコメントをする、他人の演奏会には行かない、経歴に下駄を履かせると言ったことである。

第六章「CD・DVDに関して……」
私は最近あまり買わないのだが、大学生の頃は頻繁にクラシックのCDやDVDを買うことが多かった。好きな演奏家というよりも曲を聴きたいと言うのもあるのだが、CDケースやDVDのケースについて、さらにはダウンロードサービスもあるのだが、そこについても苦言を呈している。

第七章「中にはこんなアホも……」
本章でいう「アホ」は「アンチ●●」や「●●オタク」など特定の指揮者や演奏家、さらには楽壇に対するこだわりを見せる方々の事を表している。そのことで他の演奏家・指揮者・楽壇を排除するような言動をするのだが、それについても著者は指摘している。

第八章「まだまだこんなアホも……」
最近ではクラシックにまつわる入門書はもちろんのこと、入門に当たるような番組などもある。元々テレビを見ないのであまり分からないのだが、クラシックの敷居を低くしながら、クラシックの楽しさを見いだしている。本章では他にも新聞・週刊誌批評も含めて批判を行っている。

第九章「ウィーン・フィルのドアホ」
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(以下:ウィーン・フィル)は世界的に最も有名な管弦楽団の一つでかつてはカール・ベームやヘルベルト・フォン・カラヤンもタクトを振った楽団である。日本にも毎年ほどではないのだが、不定期で来日し演奏会を行っている。これは「指揮者の役割―ヨーロッパ三大オーケストラ物語―」の書評にも書いたのだが、ウィーン・フィルは1933年以降、楽団の方針により首席指揮者は置かず、実質客演指揮のみで演奏会を行っていたと聞く。しかしカラヤンやベームなど「実質的な」首席指揮者は存在した。しかし現在はそういった指揮者はなく、客演指揮者を色々と呼ぶようになったのだが、個性的であるためか、ウィーン・フィル特有の色が失われているという指摘もある。もちろん本章でも同様の指摘をしている。

正直言って本書は著者の自己満足に浸っているようにしか思えない。最も私自身もクラシックを聴いたり、かつては演奏したりしていた事から、クラシックに対する興味は人一倍ある。そのため興味があり、手に取ったのだが、クラシックを趣味にしたり、演奏したり、凝っている方々の中にも人それぞれなのだから、それに対して苦言を呈することはいかがなものかと思う。もっと言うと著者自身がクラシックに対して排他的に見ている様に思えてならない。