吉原という異界

現在の吉原はソープランド街として有名であるのだが、江戸時代から大東亜戦争前までは花魁をはじめとした遊女たちが栄える郭街として知られた。もっとも落語や歌舞伎でも吉原を舞台にした作品は数多く収録されており、「吉原」の街は今も昔も有名である。しかし吉原はいつの頃にできて、どのような変遷をたどっていったのかは私自身わからない。本書は、吉原の歴史を紐解いている。

第一章「戦後の新都」
今でこそ吉原は東京都台東区千束というとこにあるのだが、かつては京橋や人形町と呼ばれるところに存在した。特に人形町は別名「元吉原」と呼ばれた。

第二章「吉原開店」
その人形町で吉原ができあがったのは1617年、幕府による公認による形だった。当時の表記は「吉原」というより「よし原町」だった。そのときから遊女や花魁などが生まれ、栄えた。

第三章「元吉原の変遷」
人形町にあった「元吉原」では、遊女屋はもちろんのこと、「湯女ぶろ」、さらには「女歌舞伎」も存在した。しかし女歌舞伎そのものが禁止されると、吉和来店の議論が起こり始めた。

第四章「新吉原の誕生」
幕府による吉原移転の命令が下されたのは1656年のことである。その翌年には「振袖火事」が起こり、同年、現在の所に移転することになった。吉原移転の引き金の一つとなった「振袖火事」はどのような規模だったのかというと、

「そのあまりの規模のおおきさは、のちの関東大震災に匹敵するほどであった」(p.107より)

という。関東大震災は東京全土を巻き込む規模だったのだが、それに近いほどだったという。

第五章「元禄からの展開」
吉原が現在の所に移り、旧吉原以上に活性化することとなった。そこでは江戸歌舞伎が栄えていった。そして1690年代、いわゆる「元禄」と呼ばれる年代の頃、には「吉原大絵図」が発表され、吉原が一大歓楽街であることが証明づけられた。

第六章「栄枯盛衰」
しかしその一大歓楽街が証明づけられた時をピークに、吉原は「太夫」と呼ばれる、琴や絵画などのたしなみを持った遊女が少なくなった。しかし、それと同時に「女芸者」が生まれた。これまでは芸と性の両方を提供していたものが完全に切り離され「芸」のみを売っていく存在が生まれたのだという。そうして遊女と芸者が切り分けられ、両方が存在するようになった。

吉原は今も昔もその歴史・文化が残っている。私自身も何度か吉原近辺を行ったことがあるのだが、そこには江戸時代に栄えた歴史が刻まれている証拠がそこにあった。そして吉原は歴史にさらされながら存在している。

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