近藤理論に嵌まった日本人へ 医者の言い分

近藤誠という医師がいるのだが、その方が出した本が軒並みベストセラーとなっている。もちろんその一方で近藤氏に対する批判を行う本も少なくない。本書もその一冊であるのだが、そもそもがんや生活習慣病の治療やつきあい方など、根本的に医療にしても、家族にしても、そしてなによりも罹患した本人も考えていく必要がある。本書は近藤氏の理論が医学界に与えた影響と、本当の「医療」とは何かについて取り上げている。

第一章「近藤理論という「壁」―医者はなぜ、反論できないのか」
本章は勤務医と管理職、2人の高校の後輩の3人が居酒屋で病気・近藤理論について会話をするという形で書かれている。ちなみにその3人は50代前後で、そろそろ生活習慣病について考え出す時期である。もしくはもうすでにその病にかかってしまっているか。その話の中で近藤理論は世間一般にどのような影響を及ぼしているのかを取り上げている。そもそも近藤理論の本はいくつか読んだことがあるのだが、いずれもセンセーショナル過ぎており、エッジは立ってはいるけれど、果たして医療は私たちに何をもたらすのかわからなくなってしまった。そのため当ブログでも近藤本は取り上げていない。

第二章「糖尿病治療の最前線―「血糖コントロール無用説」への科学的反論の試み」
糖尿病は生活習慣病の代表格の一つとして挙げられるが、その病気は一生付き合う病気というイメージがつく。もちろん最先端の治療も行われるのだが、治療を巡って叩く人もいるのだという。その中で、糖尿病治療でよく使われる「血糖コントロール」について根本的に否定する説も存在するのだが、それについて科学的な見地で反論する試みを著者が行ったのだという。

第三章「「平穏死」をめぐる理想と現実―胃瘻(いろう)、終末治療を否定しつつ、すぐに病院に駆け込む日本人」
第一章と同じような50代前後の男性3人が居酒屋で会話をしている形なのだが、本章では「平穏死」や「終末医療」など、もしも亡くなるまでの医療をどのようにしていくか、病気とどのようにして付き合っていくかというのが主題として挙げられている。高齢化とともにこういったことが良く取り上げられるのだが、それについて考えることができるところでもある。

第四章「「がん治療」の現在と未来―余命告知、抗がん剤の延命効果、副作用を考える」
がん治療は抗がん剤をはじめ様々な治療法が生まれ、もちろん副作用に対する接し方もめまぐるしく変わってきている。その手の専門家でさえも追いきれないほど、進化のスピードも早い。さらに「がん」と一言で言っても有名な胃がん・肝臓がん・大腸がんなどがあるのだが、ほかにも様々ながんがあり、完治できるがんもあれば、治療困難ながんも存在する。そのがんとの付き合い方はどのようにしていけば良いのか、それのこれまでとこれからについて追っている。

第五章「真のスーパー名医とは?―「老いと余生」に「治療」が介在する意味」
第一・三章と同じく居酒屋トークである。世の中にはスーパー名医なるものも存在し、メディアでも取り上げるのだが、果たしてそういうような医師がいるのかというのは私自身も疑問に思う。もしも自分が病気になって、自分自身が自分の病状について知ることができ、その中で親身になって考え、つきあっていける、あるいは最適な治療をしてくれる、そうでなくても何らかのアドバイスをしてくれるなど、二人三脚でもって向き合ってくれるような医者だったら、私はその医者を「スーパー名医」と言うかもしれないが。そもそも医療は現場も含めて変化しているし、病気も変化している。その変化の中でどのようにして病気と向き合っていけば良いか、それは患者にしても医師にしても課せられる課題である。

私自身医者は悪だと思わないし、そもそも医療はビジネスかというと半分そうでは半分そうではない。もっと言うとインフラなのかと言うとそういう役割もあり得る。その理由には病院とは言えど公立以外の病院は稼がなくてはやっていけない部分も存在する。本書を読んでいくと、確かに医療の必要性はわかるのだが、そもそも医療の存在は医師たちだけが考えるものではなく、医療にかかわる私たちも、医療と患者との関係をどのようにしていくのか考えていく必要があるのではないかと本書を通じて私は思う。