チェンジ~人生のピンチは考え方を変えればチャンスになる!~

サンライズパブリッシング様より献本御礼。
「人生山あり谷あり」「ピンチはチャンス」というような言葉がある。それらの言葉を如実に表している自分物として著者がいるという。その著者はエリート街道を歩いていると思いきや独立開業をして、現在はお金も時間も自由になることができたのだという。そのメカニズムについて自身の人生とともに綴っている。

1章「スタートは偏差値35。平均よりもだいぶ下の“負けパターン”だった。」
著者は三重県のごく普通の家族に生まれ、ごく普通に育ったのだが、両親の離婚によりすべてが変わったのだという。その「変わった」きっかけが「両親の離婚」だという。その離婚をきっかけにすべてが大きく変化し、どん底の人生を歩んでいった。大学受験も失敗に失敗を重ね、二浪して滑り止めでようやく合格を得ることができた。しかもそのプロセスの中で怖い体験もしたのだという。

2章「さらなる難関をめざす。公認会計士試験の受験は長くつらい日々だった。」
滑り止めで合格したところは関西では名門と呼ばれる大学の一つである。その大学に合格を得ることができたのだが、休む間もなく新たな試験の勉強をすることとなった。それが本章のタイトルである公認会計士試験である。その試験に受けての勉強は二浪した大学受験の勉強よりも「過酷」なものだったという。しかしその過酷な経験によって大学在学中に公認会計士試験を合格することができた。

3章「世界一の会計事務所に入社。安定を捨てて、3年で独立起業!」
公認会計士試験を合格した後は世界一の会計事務所に就職をしたのだという。その就職先はかなり安定し、それでいて恵まれているキャリアのように見えたのだが、そもそもサラリーマンである。給料が良くても、チャレンジをすることができず、どこか会社の力に支えられているように思ったのである。そのことから様々な副業に手を出し始めた。そのビジネスを成長するにつれて「自由」をひたすらに追い求めるようになった。

4章「独立3年目で年商1億3000万円!お金と時間の自由を手に入れるまで。」
独立してからはまさにフル回転で仕事をするようになり、1年目の年商は4500万円にまでなったという。1年目でここまで稼げたのであれば「成功」という二文字が出てくる。しかし著者はそれに満足することなく、2年目も3年目も成長し続けてきた。そのことで3年目には本章のタイトルのような収入に成長していった。

5章「仲間と一緒の楽しい毎日。」
現在著者は六本木のタワーマンションに住むほどにまでなったという。そしてお金も時間の「自由」も手に入れることができ、順風満帆の生活を送っている。

今でこそ順風満帆だったのだが、その裏には激動と呼ばれる時代もあれば、自ら過酷な修業を課したような毎日も存在したという。その中で自らの人生がどのような変化を遂げてきたのか、その足跡がここにある一冊と言える。