「わがまま(我儘・我侭)」とは、
1.自分の思うままにすること。自分の思い通りになること。
2.相手や周囲の事情をかえりみず、自分勝手にすること。きまま。ほしいまま。みがって。
3.思うままにぜいたくを尽くすこと。また、そのありさま。「広辞苑 第七版」より
とある。実際に皆がわがままになると、成り立たないというようなイメージを持たれ、なおかつ周囲からもいい気はしない。多くの理由としては「わがまま」=「自己中心的」という構図ができてしまっているためである。
本書でいうところの「わがまま」は、社会などにおける「苦言」や「主張」のことを表している。なぜこのような「わがまま」が必要なのか、本書は理由などを紐解いている。
1時間目「私たちが「わがまま」言えない理由」
もし学校で一人だけが授業に対して不満をもって主張したとするならば、どうなるのか、周囲から違和感を持ってしまい、最悪、攻撃の対象にされてしまう。いじめなどの暴力もあれば、周囲から無視されるなどの孤立化を招いてしまうことにもなりかねない。また「空気を読めよ」というような事も言われてしまう。しかし、学校の中でも不平等な環境であり、その不平等を改善することも求められる。その改善をすることが「わがまま」であり「主張」である。
2時間目「「わがまま」は社会の処方箋」
畑が違うかもしれないのだが、以前どこかの番組でお客さんの声は改善につながると言うことを聞いたことがある。たいがいは製造業や小売業などでけっこう聞く。もっともその「不満」や「批判」も、ある種の「わがまま」であるのだが、そのわがままが時として改善のための薬にもなる。それが社会に広げてみると、わがままもまた良い薬になるのだという。
3時間目「「わがまま」準備運動」
社会を良くするのであればどのような「わがまま」を言っていいのかというと、決してそうではない。冒頭の意味を見返して欲しいのだが、わがままも改善することを前提とするのであれば良いのだが、自分自身の利益しかないようなわがままは、辞書にもあったように「自分勝手」となってしまう。そのため「良い」わがままを行うためには何が必要なのかを取り上げているのが本章である。
4時間目「さて、「わがまま」言ってみよう!」
本章では実際に、どのようにして「わがまま」を行ったら良いのかを取り上げている。わがままを言う方法も直接的に行うのではなく、間接的に行うべきとあるが、どのような方法なのかも具体化されている。
5時間目「「わがまま」を「おせっかい」につなげよう」
「わがまま」は国家相手ばかりではない。色々な所で言うべきであるのだが、その「わがまま」を発展して「おせっかい」になることをすすめている。よそ者かもしれないが、相手のためにどのような「わがまま」を伝えるべきかによって、おせっかいになり、良くしていくことができるのだという。
「わがまま」は決して自己中心的ばかりではない。もちろんわがままな主張の中には自己中心的なもの、あるいは独善的なものまである。私もそうであるのだが、周囲はそこに目が行きがちであるのだが、本当の意味での「わがまま」であったり「主張」「運動」は社会を良くするためのものである。それが本当の意味で解釈できているかどうかは定かではないのだが。
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