保護者はなぜ「いじめ」から遠ざけられるのか

いじめは親からは全くと言ってもいいほど見えない。現在であれば「個人情報」を印籠にして隠そうとし、なおかつ一昔前も「いじめは起こっていない」と言い、もみ消そうとする。現に生徒同士でいじめを起こすだけでなく、ケースによっては教師が加担するようなことさえある。そのいじめに対してどのように解決の道筋を立てていけば良いのか、それは親を遠ざけないことにある。しかしなぜ遠ざけようとするのか、そしてそれをされている親たちの苦悩は何か、その現実を示す必要がある。

第Ⅰ部「親からは見えない学校の内側」
もっともそういったいじめの姿がメディアの明るみに出ることは少ない。もっとも自殺などの死亡事件になったときに初めて明るみに出ることが多いのだが、それでもなおもみ消されてしまうケースもあるという。もっともその「いじめ」が明るみに出るのは、そういった「事」が起きてからと言うことも往々にしてある。もっとも学校は「いじめ」に対して調査を行っているのか、ましてや指導を行っているのか、そのことを取り上げている。

第Ⅱ部「“寝耳に水”から始まる親の苦悩」
いじめにいち早く気づいた親が行動を起こすことも多くあるのだが、それに対して学校側がどう対応しているのか、実際の所学校側はまるで逆接しているような状況に陥ることがあるという。実際にとある子どもと、その親がいじめに遭い、なおかつ学校はどのような事を行ってきたのかを克明に明かしている。

第Ⅲ部「“かやの外”からの脱却」
いじめに対していじめられている保護者が「かやの外」にされることが往々にしてあるという。もっともいじめを根本的に解決していくためには学校と生徒ばかりではなく、保護者とも関わっていくことが必要になってくる。その関わりを持つためには学校側からイニシアチブをもって解決に導く必要がある。

「臭いものに蓋をする」「触らぬ神に祟りなし」という言葉を文字通りの対応をする学校、いじめに対してはそうなってしまう学校も多い。その学校において生徒たちの諍いは絶えずある。その諍いやいじめにたいして面と向かって解決に導くことは学校として、そして保護者として責任がある。その責任を全うするかはそれぞれ次第である。

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