お伊勢参り – 江戸庶民の旅と信心

天照大御神らが祀られている伊勢神宮。その神宮を参ることを「お伊勢参り」と言うのだが、これは江戸時代の時から始まり、広まっていったものである。「東海道中膝栗毛」をはじめとする古典作品にも数多く取り入れられており、明治天皇以降も歴代天皇もまた伊勢神宮へ詣られるようになった。

そもそも「お伊勢参り」はなぜできたのか、そしてそれが現在にも通ずるようにもなった要因とは何か、そのことについて取り上げている。

第一章「庶民の家出先として?」
家出が多発となると「家出息子」「家出娘」と言った印象を受けるのだが、実は「家出大人」と言うような人々が出てきたという。いい年こいて、である。さらには奉公人と呼ばれる身分も、主婦も家出するのである。いい年こいて、である。
その家出先には「伊勢神宮」があり、お伊勢参りとして生まれることとなったという。

第二章「江戸時代の庶民のお伊勢参り」
最近では天皇や歴代首相が参内するためにお伊勢参りすることがメディアで取り上げられたこともあり、「お伊勢参り」は高尚なものとなったのだが、始まった江戸時代当初は「庶民のための」お伊勢参りだった。家出もあるため「訳あり」といった人々が願いを求めてお伊勢参りをすることがあり、それに向けて旅をする人も多くなったという。

第三章「数百万人のおかげまいり」
「おかげまいり(お蔭参り)」はお伊勢参りを集団で行うことを表したものである。子どもが奉公人が上の人に無断でお参りに行くことが多いという。中には半年の時間をかけて旅をする人もいた。
その影響で見聞が広くなる人も出始め、さらには旅をしたことによる返礼として「お土産」が「餞別」の概念も生まれた。

第四章「江戸時代の旅のなぞ」
江戸時代になって文化が栄えたこと、そしてそれが広がりを持った要因として「旅」がある。その「旅」の中でどのような変化を行ってきたのか、そのことを取り上げている。

第五章「歩く旅・現代―お伊勢参りを体験する」
現代における「お伊勢参り」はどのようなものか実際に著者自身が体験したことについて綴っている。

お伊勢参りは江戸時代から続いているのだが、移動手段が多様化したことにより、様々な形で楽しむことができる。変化はあれど、お伊勢参りは伝統的に続いており、なおかつどんな人でも愉しむことができる。