貧困の倫理学

日本でも十数年前から「格差社会」と呼ばれているのだが、その格差は世界に目を向けてみると近づいてはいるものの、それほどでもないような印象を持たれている。その格差の中で生まれる「貧困」。その貧困によって生活が脅かされ、最悪命を落とす人も少なくない。その貧困は倫理学的に何を意味を成しているのか、本書はその倫理における原則や主義における考察を行っている。

第1章「援助の救命モデル―シンガーの功利主義的援助論」
世界的貧困から救うために運動を行ったり、救助を行ったり、寄付を行ったりするような傾向がある。しかしながらそれらの傾向は功利主義的であると本章にて指摘している。

第2章「援助のカント主義―オニールと「カント的に正しい世界」」
本章では援助のあり方について「カント倫理学」の学問から考察を行っている。批判的に考察を行っているのだが、どのような視点で「批判」を行っているのかが特長的である。

第3章「加害としての貧困―ポッゲの消極的義務論」
貧困は起こるものであるのだが、実際には「誰かが起こしている」とも言える。その「誰か」というと豊かさを持っている方々である。そのことをポッゲの消極的義務論でもって批判をしている。

第4章「地球規模の格差原則―ロールズとその批判者たち」
格差は動物でも人間でもあるのだが、人間でしかない「格差」も存在する。それは経済や希望の格差と言ったものがあるのだが、その格差に対して直接的に批判を行った哲学者・倫理学者もいた。

第5章「生存権のための援助―シューと基本権の論理」
日本国憲法にも第25条として「生存権」が挙げられる。もちろん海外でも憲法をはじめとした法律にて明記されているのだが、その生存権はプログラム規定説とよばれ、形骸化している国も少なくない。

第6章「自由のための援助―ケイパビリティ・アプローチ」
法律などにおいて「自由」が担保されているのだが、その自由の種類や程度は国、あるいは法律によって異なる。その自由をもとにした「援助」はどのような意味を成しているのか、そのことを取り上げている。

第7章「倫理と政治のために―ポストモダニズムからの批判」
貧困に対する寄付や援助は個人・団体問わずして行われている印象が強いのだが、その行動はポストモダニズムの観点からどう見ているのかを取り上げている。

貧困は日本のみならず世界中にて起こっているのだが、それに対して援助や寄付などの行動を行っている人は多くいる。その行動は倫理学的にどう見えるのか、倫理学的に考察を行っている点で斬新さがあると言える。

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