ルイ・アルチュセール――行方不明者の哲学

マルクス主義哲学の代表的な哲学者であるルイ・アルチュセールは元々フランス共産党を内部批判すべくマルクス研究を進めていった。他にもスピノザの研究にも長けていた一方で1980年に妻のエレーヌを絞殺したことでも知られている。そのアルチュセールの政治思想の中で「行方不明になる」ことを表しているのだが、そもそもそれはどういう意味なのか、アルチュセールの哲学的研究の歴史から紐解いている。

第一章「行方不明者の生涯」
そもそもアルチュセールの思想の根本には政治的なものも含めて「行方不明」と言う言葉がある。それはアルチュセール自身が高等師範学校に合格した時にフランスにてナチスドイツの侵攻にあい、捕虜生活を送った体験談によって形成づけられたためである。収容所の苛酷な生活の中で「行方不明者になる」ことを思想の根幹となった。

第二章「偶然性唯物論のスピノザ―問題の「凝固」」
マルクスおよびスピノザの研究をつつけていった中で1970年代の時には自己批判を行うようになり、そこで出てきた思想として本章のタイトルにある「偶然性唯物論」がある。マルクス研究における「唯物論」は派生してヘーゲルの思想にもつながり、歴史的な課程の中で「偶然」に生まれたのではないかという指摘である。

第三章「『資本論を読む』またはスピノザを読む」
冒頭にも述べたように、アルチュセールの哲学には2つの根幹がある。一つがマルクス、もう一つがスピノザである。その2つの関連性も兼ねながらアルチュセールの観点からどのように2つの哲学を読んでいったのかを取り上げている。

第四章「構造から<私>と国家へ」
資本論やスピノザから離れつつあり、構造や国家論にシフトしていった。本章では「錯乱」にまつわる哲学的な考察も行われた。

第五章「スピノザから遠く離れて」
スピノザやマルクス研究から離れ、政治を超えて自分自身に関する思想批判、さらにはミシェル・フーコーとの共闘と対立と言った事を経験してきた。その中での思想・エピソードを取り上げている。ここではじめて冒頭でも述べた1980年に妻を絞殺した話をかの「佐川くん(パリ人肉事件)」と絡めて取り上げている。

現代哲学の中でも異才を放ったルイ・アルチュセールは同哲学において影響を与えた人物で間違いがない。と同時に、哲学思想においての自己批判を繰り返し、さらには妻を殺害するといった精神的な狂乱を起こした人物であるが、そこにもアルチュセールでしかわからない思想が見え隠れする、その深淵を解き明かしたのが本書と言える。