サッカーのある風景―場と開発、人と移動の社会学―

昨今のコロナウイルスにより、サッカーでも野球でも延期や中止を余儀なくされている。サッカーは最初の試合が行われた後、3月中の試合は全て延期にあり、4月に再開するかどうかはまだ不明である。

もっともサッカーにしても、野球にしても、プロリーグなどでは地域やチームなどの雰囲気によって成り立つことも少なくない。本書はその中でもサッカーと地域性、さらには風景についてアルビレックス新潟をもとにして取り上げている。

第1章「地域開発と新潟スタジアム」
まずはアルビレックス新潟よりも前の2002年に開催された日韓サッカーワールドカップにて、新潟スタジアムが会場の一つとなったが、その新潟スタジアム(現:デンカビックスワンスタジアム)ができるまでのプロセスを取り上げている。元々はサッカーを中心とした地域開発についての経緯を取り上げている。

第2章「生活の場に立ち現れるスタジアム――新潟市清五郎・長潟地区の事例――」
もともと新潟スタジアムの場所は農場だった。もっとも建設計画も農村地区であり、その住民の理解が必要だった。建設になってくると反対運動は付き物と言われているのだが、実は地域住民は淡々と受け入れていた事実がある。

第3章「スポーツ空間の創出とサッカー人材の育成」
もっともワールドカップの新潟招致運動も積極的に行われており、Jリーグが開幕する前の1991年から始まっていたという。と同時にプロサッカークラブの創設にも奔走した。ようやくできたのは1996年、その翌年にJFLへ登録されてからの活躍はすでにニュースなどで取り上げられている通りである。

第4章「スポーツ空間のグローバル化――アルビレックス新潟シンガポール――」
アルビレックス新潟ではグローバル化も進めており、本章ではシンガポールとの結びつきについて取り上げている。実際に「アルビレックス新潟シンガポール」を結成し、シンガポールのプロサッカーリーグ(Sリーグ)にも出ている。

第5章「シンガポールで「プロサッカー選手」となった若者たち――「労働としてのサッカー」と「生き方としてのサッカー」――」
シンガポールにてプロサッカー選手となった人たちはどのようにサッカーを捉え、選手として活躍しているのか、選手のインタビューを元にして取り上げている。

第6章「日本とアジアを結ぶサッカーの新たなダイナミズム」
日本に限らず、海外のサッカークラブでは、自国以外の国でサッカーアカデミーをつくるところもある。もちろんアルビレックス新潟も例外ではなく、サッカークラブとともに、サッカーアカデミーもシンガポールでつくられている。それはサッカースクールだけでなく、日本語学校などの教育機関もあり、海外のスクールへゆく日本人家族の姿も取り上げている。

本書はあくまで新潟におけるサッカーの地域振興だけでなく、アルビレックス新潟を通じて、サッカーという場のグローバル化といったものにも言及している。もちろんそれは新潟のみならず、全国のサッカークラブでもあるのだが、やり方はそれぞれで異なる。本書はあくまで一例にすぎないが、サッカークラブと地域・海外の関係性がよく分かる。

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