「三国志」は中国大陸における「後漢」王朝末期における黄巾の乱から晋国が三国を統一するまでの時代のことを表し、それを物語にしたのが「三国志演義」である。この「三国志演義」が成立したのは三国志の時代から後のことである。時代としては「明」王朝の時代であり、具体的な年代は不明であるのだが、書物として最古のものとして1522年のものがある。日本で言えば室町時代後期のころである。
その三国志演義において本書の著者はフリーアナウンサーであるのだが、大学院の修士論文に「三国志演義」を取り上げており、それ以前にも三国志を好いていた経緯がある。その三国志に関してのこだわりと、日本人と「三国志」との関わりについて取り上げたのが本書である。
第一章「わたしの「三国志」―主な出来事を追って」
著者自身の「三国志遍歴」と言うべきか、三国志に出会い、そしてどのような所に惚れ込んだのかについて取り上げている。キャラクターから場面など事細かに取り上げていると所から、思い入れの強さが窺える。
第二章「有名作家、それぞれの「三国志」」
「三国志」は最も古いものでは歴史書として成立したのだが、「三国志演義」のように小説という「創作」にて生み出されたものもある。日本でも「三国志」という物語で生まれたものの中には「創作」にて描いているものが数多くある。もちろん史実もあるのだが、「創作」であるが故に、臨場感を出すためにキャラクターや場面を「つくる」こともある。しかしその「つくられた」場面やキャラクターが作家それぞれの「観点」が存在している。どのような特色があるのかを本章にて取り上げている。
第三章「弥生時代から江戸時代、人々はどう読んだのか」
日本と中国大陸については古代から大きな関わりがあり、弥生時代にまで遡る。このときには卑弥呼が統べていた時代であるのだが、その卑弥呼もまた三国志のなかで取り上げられている。その三国志の書物が日本にも伝来し、日本語にて翻訳される様なこともあった。実際に日本書紀にも三国志に関する言及が行われるほどである。
第四章「江戸時代、知らぬ人なし「三国志」―大衆文化に深く浸透」
三国志のパロディやモチーフにした作品は今もなおあるのだが、古くは江戸時代にまで遡る。江戸時代にもヒーローものとして扱われたり、男女逆転するようなものまで存在するなど、現在と同じようにヴァリエーションが豊富である。
第五章「近代日本と孔明」
翻訳の仕方だと、一方的になってしまった傾向にあったのだが、新しい切り口で三国志を翻訳しているものもある。前者のことを「通俗三国志」と扱っており、実際に江戸時代初期に刊行されている。後者は明治時代に入って出てきた「新譯 演義三國志(しんやく えんぎさんごくし)」といったものが久保天随によって出たところにある。新しい切り口により三国志の深みを増すだけでなく、近代においては諸葛亮孔明がピックアップされただけでなく、三国志そのものが国定教科書に掲載されるようにまでなった。
第六章「日中戦争期の「三国志」ブーム」
第二次世界大戦の中での日中戦争の時期でも日本人は三国志を親しんでいた。その三国志に関して、どのような本が出てきたのか、そして三国志を通じて中国に対し、どのような興味を日本人は持ちだしたのかを取り上げている。なお著者は大学修士の論文として本章における研究のことを題材としている。
三国志の解釈と言うよりも、三国志と日本との関わりについてが中心であったが、実際に現在はもちろんのこと、古代から三国志と日本は密接に関わっている。史実の歴史のなかにも卑弥呼の存在もあれば、日本書紀の時代から現代まで身分問わず、日本人とも関わっており、親しまれてきた歴史がそこにある。
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