「あなたにとって『読書』とは何か?」
当ブログを行っているなかで何度も聞かれたかわからないほど、聞かれた質問である。ことあるごとに答えは変えているのだが、もっとも私として「読書」は「旅」であり、人生における「日常」そのものである。それだけなくてはならないものであり、読書とともに現在の自分がおり、今のようなブログが書けるようになった。もしも「読書」がなかったとしたら・・・と考えると想像もつかないほどである。
本書の著者は元々新聞記者で、現在はジャーナリストとして活躍しているのだが、その活躍の裏には「読書」が常にあったという。その読書を行ってきた足跡と、著者自身の読書法など、読書について余すところなく取り上げている。
1章「だから、ぼくは死ぬまで本を読む」
著者もそうであるのだが、自分自身も死ぬまで本を読む、もっと言うと闘病生活になったときは病室に大量の本を持ち込んで、看護師に毎日怒られるといった想像をしてしまう。もっと言うと死んでも、いくつかお気に入りの本を棺から持って行くと言うようなことも画策している。読書は学びというものもあれば、「空想」や「妄想」を育てると言うこともできる。あらゆる可能性を秘めている。
2章「「100歳まで読書」の基本ルール」
100歳までといった目標は私は立てない。もっとも100歳まで生きられるかどうかはわからないためである。とはいえど100歳まで読書を行うとするならば、どのような本を選ぶかは考えていきたいところである。その本を出会うためには様々な人の書評を読む、あるいは本屋などで、本と出会うと言うような事も行っていく、集めていった本の中で、もしも無人島に持っていくとするならば、どのような本が良いのかもまた考える事もまた読書の醍醐味としてある。
3章「こんな読み方、楽しみ方もある!」
「読書」と言っても1冊の本を最初から最後まで一字一句読むことだけが全てではない。また1人だけで読むものというのも一つであるが、それだけではない。本を読むことはあらゆるジャンルの本を読むこともあれば、外で読んでみるというのもある。さらには「読書会」として様々な人と読書で語り合う、こともまた一つの楽しみにある。
4章「本が人生に与えてくれるもの」
読書は本当の意味で「面白い」。その「面白い」の意味合いとして「笑える」といった意味もあれば、知的好奇心をくすぐる、考えや妄想をまとめたり広げさせる、生きる希望を見出してくれる効果をもたらす。反面、副作用もある。私のように読書依存症や読書中毒者になる嬉しい副作用である。
読書は自分の人生の中で色々な変化をもたらしたと言っても過言ではない。著者もまたその一人であり、その変化を生涯愉しむ、その姿は私とも同じである。読書は本当の意味で色々な事をもたらしてくれる。これまでも、そしてこれからも。
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