いますぐ彼を解きなさい―イタリアにおける非拘束社会への試み

「拘束」と言うと自由を奪うというものであり、特に犯罪に関しては「身柄を拘束」するという言葉を用いることが多い。しかし本書で言うところの「拘束」は犯罪における拘束ではなく、精神医療における「拘束」の廃止に向けた動きを取り上げている。

なぜ精神利用において「拘束」が行われているのか、もともとの精神科での医療に関わっており、2018年という過去の記事になるのだが、精神科病院では身体拘束が急増しているという話もあった。その理由としては自身や他人を無意識に傷つけさせる恐れがあり、それを回避するために拘束を行うとしているのだが、それに批判を行い、実際に廃止した国としてイタリアがある。拘束医療の廃止までのプロセスについて取り上げているのが本書である。

第Ⅰ部「拘束廃止に向けた精神科医の経験から」
拘束廃止運動の大きなきっかけは、2006年6月にとある男性が7日間継続して手足をベッドに拘束され続け、亡くなったという衝撃的なニュースだった。背景については精神疾患という以前にイタリアの事情も絡んでいる部分もあるため、ここでは割愛するが、拘束を続けたことにより死に至ると言うことから衝撃が走った。男性の遺族は司法裁判に訴えるも、訴えは退けられた。しかしながら、医療における拘束廃止への大きな足がかりをつくった。

第Ⅱ部「イタリア拘束廃止運動の実際」
精神科病院における身体拘束は日本でも起こっているのだが、イタリアでも同様に起こっていた。「起こっていた」と書くのは本章と次章にて紹介する「イタリア拘束廃止運動」が行われ、実際に拘束医療が廃止されたことにより、拘束をして行う医療がなくなったためである。
そもそも精神科病院において拘束を行うことはなぜか、冒頭でも説明したのだが、医者が適切な治療を行うことができなくなるのを解消するためも一つの理由としてあるが、もっとも患者の権利や自由を奪うことにもなり、拘束によるストレスも増大する。最悪第Ⅰ部にも出てくるように死に至ることもある。その拘束をいかにしてなくすのか、実際に運動を行った事例なども取り上げている。

第Ⅲ部「拘束廃止に向けたインタビュー」
元々この拘束廃止運動の名前自体が本書のタイトルにある名前である。本章では実際に運動を行った、あるいは推進した3人のインタビューを取り上げている。そもそも「拘束」に対してのイメージ、そしてそこから解放した後の事について取り上げている。

身体拘束による治療は今も日本では行われているが、実際に脱することができるかについては未知数である。もっとも医療的な拘束についてのシュプレヒコールを挙げているという動きは、知らないところでは起こっているのかもしれないのだが、メディアでは全く取り上げられていないため、どうなっているのかも私自身も知らないと言うほかない。ただ、イタリアでは実際に運動などで拘束廃止が叶ったのだが、本書を通じて日本ではどうなるのかは定かではない。

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