あいまいな会話はなぜ成立するのか

会話をして行く中で、「あいまい」な表現で伝えられることが度々ある。もっとも当ブログでも紹介していく中では、具体的に述べるところもあれば、相手に対して「実際に本を見てみたい」と思わせるようにわざと「あいまい」にして紹介している所もある。

それはさておき、日本語は繊細な表現がいくつもあり、その表現自体があいまいになっている要因になると指摘もあるが、会話ではいわゆる「つうかあ」というようなもので、何も言わなくてもわかる、あるいはあいまいなものでもつたわるといったこともある。なぜ伝わるのかを本書にて分析している。

第1章「言わないことが伝わる不思議」

ロボットが会話をする事もある。特にGoogle HomeやAlexaなどのAIスピーカーが会話するということもある。中にはAIスピーカー同士で会話させたらといった動画もあった。

そもそも会話をすることの多くは人間である。その人間同士の会話を行う中で、かみ合わない部分があるように見えて、実は「行間」といった言っていないところで理解することもある。

第2章「会話は助け合いである」

もちろん「つうかあ」のみならず、しっかりと話したとしても理解されないといった逆のパターンもある。私自身も日常会話の中でこういったことが多々ある。しかしその会話に対してどのように伝達するかによって相手の理解度も変わってくる。そう言う意味で本章のタイトルである「助け合い」となる。

第3章「人間は無駄が嫌い」

会話のみならず、記事の中には「牛のよだれ」といったような無駄な表現をしてしまう人もいる(かくいう私もその一人であるが)。無駄な表現や文章を作ってしまうと、読み手もだるくなってしまい、読むのをやめる人も少なくない。

会話も同様に、無駄を嫌う人もすくなくなく、無駄な会話をすると「要点だけ言え!」「まどろっこしい!」と言われることもある。無駄なく、どのように伝えるかも大事である。

第4章「体面が大事」

会話は直接的な表現ばかりが全てではない。TPOに分けて、ほのめかすような表現もあり、相手に対して、立てる、いわゆる「体面(世間の体裁)」を大事にすることができる。

第5章「うやむやにした方が得」

会話の内容をうやむやにすることは時としてプラスに作用することがある。本章では賭博やスピード違反といった穏やかではない例を引き合いに出して取り上げている。

第6章「謎はどこまで解かれたか」

もっとも「あいまい」なことで伝わるのはなぜなのか、脳科学的にも解明しつつある。しかし未だに謎が多いのも事実としてある。そこで本章ではこれまでどこまで紐解くことができたのかを明らかにしている。

あいまいな会話がなぜ成立するのか、脳科学、コミュニケーション学などの観点で議論をされてきたが、真の理由は未だに解明されていない。もっともこれこそ、人間としての脳の働きにおける「謎」の最も深い部分と言えるのではないか、とも本書を読んで考えてしまう。