横丁の戦後史-東京五輪で消えゆく路地裏の記憶

新型コロナウイルス感染拡大の影響により居酒屋をはじめとした飲食店では倒産が相次いでいるのだが、何も飲食業界ばかりではなく、コロナによって対面販売が難しくなり、それらを中心としている業界は軒並み壊滅的な打撃を受けている。

ちょうどこの時期になると例年であれば「忘年会」シーズンであるのだが、昨年は完全に自粛となり、今年は第5波が去り、感染に落ち着きが見られているが、第6波の懸念と、元々あった忘年会への嫌気もあることから、忘年会の回復は鈍化、逆に廃止になるところも出てきている。もちろん忘年会の「存在意義」もコロナに限らず変化を生じているのだが、もっともコロナによってそれが急速に表れたという他ない。

私はと言うと飲み会自体は雰囲気で酒を楽しむ性質のため好きであり、同時に忘年会も和気藹々とした雰囲気は好きである。ただし好きであるだけで「必要」というと必ずしもそうではないと考えている。

忘年会の話で前置きが長くなってしまったが、忘年会に限らず、飲み会が開くことが難しくなり、居酒屋の世界も苦しくなった。本書で紹介する「横丁」もまた衰退に拍車をかけているが、もっとも東京五輪の影響もあるという。本書は東京・神奈川を中心とした横丁の歴史を取り上げている。

第1章「ママたちの横丁、客たちの横丁」

東京の横丁というと色々とあるのだが、最も有名どころで言うと「新宿ゴールデン街」「思い出横丁」などがある。私自身は東京で飲みに行くことも何度かあったのだが、横丁はなぜか一度も足を踏み入れたことがない。「踏み入れてみたい」と言う気持ちはかなりあったが。

さて本章では渋谷駅前、さらには池袋の横丁を紹介している。特に渋谷駅前の「のんべい横丁」が中心となっているのだが、渋谷・池袋ともに再開発の影響を受けて衰退しているという。

第2章「在日コリアンの横丁」

「コリアンタウン」と呼ばれると、東京では新大久保が有名であるが、他にも東上野なども有名である。また「横丁」に限って言うと、浅草にも「焼肉横丁」と呼ばれる所があり、一種のコリアンタウンとして知られている。

第3章「テキヤ横丁」

「テキヤ」と言うと、よく夏祭りである「縁日」などの「露店」がよく知られている。私が住んでいる鎌倉市でも、鶴岡八幡宮ではいつも数件ほど露店が出ており、特に昨年からの年末年始における初詣の時にはコロナの第3波があったものの、軒を連ねるほどあったことを思い出す。

ちなみに本章で紹介されるテキヤ横丁は、京急線の「横須賀中央駅」近く、つまりは神奈川県横須賀市にある若松マーケットと呼ばれる横丁を取り上げている。実はここの横丁は戦後間もない時にGHQとの関わりと、闇市もあったこともあり、「戦後」間もない歴史が彩られている横丁として知られている。また

第4章「エスニック横丁」

本章は横浜市の福富町が舞台である。福富町は東京・吉原や川崎・堀之内と並ぶソープランド街でもあり、なおかつ韓国系の店も建ち並ぶコリアンタウンとしての側面もある。この福富町の横丁と、さらには新華僑を代表する街として池袋駅北口やリトルヤンゴンの側面がある高田馬場の横丁も紹介している。

「横丁」と言うだけでも全国津々浦々とあることは知っていたのだが、歴史などを深掘りしていくと、数だけでなく、「種類」と言った所でも多く、なおかつ歴史の深さ、多様さを見せている。様々な歴史があり、変化・進化を遂げており、古き良きものも廃れるものもあれば、逆に新しい横丁(「進化系横丁」「ネオ横丁」とも呼ばれている)もできているほどである。そう考えると、それもまた「歴史」と言わざるを得ない。