差別は思いやりでは解決しない ジェンダーやLGBTQから考える

そもそも「差別」は人間や動物などには多かれ少なかれ「差」があることから、その上での「差別」はどうしても起こりうる。その部分は致し方ないのだが、中には解消できる「差別」も存在する。しかしその「差別」の解消はどのように行っていけば良いか、国・自治体・個人とそれぞれに分かれてくるのだが、個人における「解決」の一つの解として「思いやり」がある。

しかし著者に言わせるとそれは単なる気休めでしかなく、そもそも議論を進めないばかりか、阻害の要因にもなると主張している。ではどのように「差別」を解消していくべきなのか、著者の観点から取り上げている。

第1章「ジェンダー課題における「思いやり」の限界」

もちろん様々な「差別」に関して「思いやり」は必要なのかもしれない。しかしながら「思いやり」ばかりでは解決の糸口にすらならない。ましてや単純に思いやりを行ってしまうことにより、むしろ差別を受ける側も気分を害するというような「逆効果」の側面を見せてしまうこともある。

第2章「LGBTQ課題における「思いやり」の落とし穴」

LGBTQにおける「思いやり」は第1章にて効果がない、あるいは逆効果を生むと書いた。その要因はどこにあるのか。また「差別」における「特別扱い」と「逆差別」の違いとはいったい何かを取り上げている。

第3章「「女性」vs.「トランスジェンダー」という虚構」

特に「逆差別」の所で言及されることが多いのだが、差別を受ける側が逆に別の所などで「差別」をしてしまうこともある。

所変わって本章では女性とトランスジェンダーの差別を取り上げているが、実際にスポーツの世界では起こっていることである。

第4章「ジェンダー課題における制度と実践」

差別やハラスメントに関しては法・条例などの整備はできているのだが、発展途上である。それだけでなく、その法・条例には果たして実効性があるのかどうかについても課題としてある。

第5章「LGBTQ課題における制度と実践」

LGBTQ課題において自治体・団体における法や制度の整備、さらには著者自身が行っている試案作りなどを引き合いに出し、より実践的に整備を行うにはどうしたら良いのかを取り上げている。

「差別」はどうしても存在するのだが、その差別をいかにして解消していくか、自治体や団体の所から個人へとどのように啓発していくか。実践的な事例と現状を取り上げているが、だんだん読んでいくうちに「根が深い」と言うことを想わざるを得ない。特にそう思ってしまう要因としては「個人」の部分である。個人に対して差別をいかになくしていくかを法整備を行うにしても個人には「価値観」が伴う。その価値観を変えることが出来るのはどうしてもその人自身になるため、他人が変えさせることは難しい。