「いい人に見られたい」症候群―代償的自己を生きる

人はよほどの事ではない限り、「好印象」に見られたいという願望があるという。私もその一人であるが、それがどれだけ心の重荷となってしまうのか、自覚してか、していないでかはわからないが、「本当の自分」が見えなくなってしまっているという。

本書は「いい人にみられたい」という感情の傾向と「本当の自分」との乖離、そして「自分らしく」生きることの重要性について説いている。

第一章「「本当の自分」を生きられない」
今し方の世間の中で「本当の自分」をさらけ出すことができず、「いい人」を演じている自分を持ってしまうのだという。本書ではこれを「代償的自己」と定義している。

第二章「自我の発達と分裂」
「自我」そのものは身体と同じように成長していくのだが、これは親など周囲からの「期待」にさらされるだけではなく、それらへの「対抗」や「反抗」によってありのままの自分になることができず、「代償的自己」がそのまま「自己」となってしまう。

第三章「なぜ、代償的自己を生きてしまうのか」
前章でも同じことを書いたのだが、親からの期待によって「代償的自己」を演じてしまうという。それだけではなく「愛着」や「善意」、さらには「しつけ」もそういった自己を生きてしまう要因にもなる。

第四章「「本当の自分」の正体」
では「本当の自分」とはいったい何なのだろうか。哲学的になるが、自らが考える価値や思いなどを表しているのだが、それ自体わからない人も少なくなく、「本当の自分」を見いだせない人もいる。

第五章「自分になるということ」
よく「自分探し」をよく聞く。しかし解剖学者の養老孟司氏の言うように「自分探し」は意味がないという主張がある。
では「自分」はどこにあるのだろうか、どのようにつくられるのだろうか。それを見つけるのは日々の体験の中で創られるのだが、それが「偽り」の自分を生み出す要因にもなる。

第六章「自分を生きる」
自分を「さがす」、「つくる」以前に、「自分を知る」ことが必要である。そのためには「性格を知る」ことや「自分を許す」「行動する」「思ったことを書く」など方法は様々である。

第七章「自分の人生をつくる」
そして最後に「自分をつくる」方法であるが、これも確かな方法はない。夢をつくることや、価値を知る・つくるなど行うことにより、自分の人生を形成づける。

今の世の中は「生き苦しい」と言っても過言ではない。「空気」という見えない「独裁者」に苛まれながら生きているとも言える。そのなかで自分が「何がしたい」「何が好き」なのかを見いだすことが重要であるのかもしれない。もしそれが見つからなかったとしたら、いろいろなことにチャレンジする事により自分とその人生を見つけることができる。
本書は哲学的な一冊であるが、「自分」そのものを考える為には良いチャンスとなる。

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