ほんとはこわい「やさしさ社会」

やさしさの渇望がおおいのかどうかは不明だが、少なくとも「やさしさ」や「楽しさ」が無条件に良いとされる風潮があることは確かである。しかしその「やさしさ」は強いられている状況の中でつくられているため、心的に負担がかかり、うつなどの心の病の引き金になってしまう「こわさ」を持っている。そのため本書のタイトルに「ほんとはこわい」と書いたのかもしれない。本書はその「やさしさ」が蔓延している社会の「こわさ」をあぶり出すと共に、「こわさ」を取り除いた本当の「やさしさ」とはいったい何なのかを提示している。

第一章「やさしさを最優先する社会」
「やさしさ」と言っても色々と定義があり、辞書で調べてみると、

「1.身も瘦せるように感じる。恥かしい。
 2.周囲や相手に気をつかって控え目である。つつましい。
 3.さし向かうと恥かしくなるほど優美である。優美で風情がある。
 4.おだやかである。すなおである。おとなしい。温順である。
 5.悪い影響を及ぼさない。
 6.情深い。情(じょう)がこまやかである。
 7.けなげである。殊勝である。神妙である。」
「広辞苑 第六版」より、なお本書にもpp.14-15にて一版前の「広辞苑 第五版」のものが飲用されている)

とある。おそらく今の社会で言えば2.や4.の意味にあたる。かつては6.もあったがだんだん薄れている。しかも2.や4.にあたるやさしさが変容し、次第に裏にある「きびしさ」も出てくるようになった。

第二章「きびしいやさしさの特徴」
「きびしいやさしさ」というと矛盾しているように見えるが、本書では、

「“きびしいやさしさ”は、あたらしい、現代的なやさしさです。それは、いま傷つけないように全力を尽くすこと、を要求します」(p.18より)

とある。つまり表面上人に厳しくしないで優しく振る舞う形を取る一方で、裏では「傷つけたら仕返しをする」と言うような厳しさを突きつけることにあります。対照的な表現として厳しく接するけれども、相手のためを思う「やさしさ」をもっている「やさしいきびしさ」がある。

第三章「どうしてやさしさルールはきびしくなったのか?」
「やさしさ」は人それぞれであり、第二章でも書いた「やさしいきびしさ」を持つ人が少なくなっている現状にある。厳しく接しても、人を育てたい思いをもっている「やさしさ」があるからでこそなせるのだが、最近ではそれもアウトになってきている。それが「やさしさルールがきびしくなった」とも言える。

第四章「やさしさ社会のこわさ」
人にやさしく接するだけの「やさしさ社会」だが、そこにはらむ「こわさ」も存在する。それは冷酷な態度と言うよりも、今まで行ってきた「やさしさ」が反故にされ、逆に爆弾が爆発するような方たちになる。いわゆる「キレた」状態になってしまうものがある。その「キレた」状態になってしまうことにより自分だけではなく相手も傷つけられるような状態にもなってしまう。
あともう一つある「こわさ」としては「対人恐怖症」などがある。いわゆる「コミュ障」と呼ばれる人がいることにある。コミュ障自体は昔から存在するのだが、最近はそれが目立ってきている。

第五章「気楽なやさしさのすすめ」
「気楽に」できるやさしさはどこにあるのか、正直言うと本章では言及されていない。むしろ「やさしさ」にあるリスクを挙げているだけなのだが、そのリスクを向き合ってみると、気楽に行えるメリットがあるとも見て取れる。

「やさしい」ばかりが全てではない。時には「きびしい」ことを肌で感じることも大切であるのだが、社会の風潮がそれを許さない状況にある。しかし本書で訴えているようにそれではいけないことを常々警鐘を鳴らし続けることもまた、真の「やさしさ」を見出していく方法の一つなのかもしれない。

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