小津安二郎文壇交遊録

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日本を誇る映画監督は数多くいるのだが、その筆頭には「世界のクロサワ」と言われた黒澤明氏がいる。その黒沢氏とほど近い、あるいは対をなす存在として戦後映画を支えてきた名監督・小津安二郎氏がいる。小津氏の映画には「東京物語」「秋刀魚の味」などがある。それと同時に、北鎌倉に住んでいたこともあり、当時の鎌倉文士たちとの交流もあった。本書は戦後における日本映画を支えてきた小津氏の映画の参考となった読書、そして文士たちの交流について取り上げている。

第一章「小津安二郎の読書遍歴」
小津映画の多くは「オリジナル・シナリオ」と呼ばれるものなのだが、その着想となったものとして、生涯読んできた本がある。元々旧制中学時代から本の虫であり、読書欲も旺盛だったという。主に読んでいたのは谷崎潤一郎芥川龍之介の小説が多かったのだという。

第二章「川端康成と小津映画評」
冒頭にて小津は北鎌倉に住んでいたと書いたのだが、当時は作家たちがこぞって鎌倉に住んでいた。もちろん本章にて取り上げる川端康成もその一人である。作家と文芸評論家、もしくは映画監督との対談・鼎談も行われており、川端康成がノーベル文学賞を受賞したときの鼎談も鎌倉にある川端の自宅の庭にて川端、同じ作家の三島由紀夫、文芸評論家の伊藤整の3人で行われた。

話がそれてしまったが、小津映画について川端が評論したこともある。きわめて客観的でありながら、作家らしくレトリックをふんだんに織り込まれた表現で評価をしている。

第三章「里見弴と芸の虫」
里見弴(さとみとん)は川端康成と同じく鎌倉文士の一人で、「海」や「極楽とんぼ」などの作品を取り上げた。川端康成の関係で言えば、ともに「鎌倉文庫」の創設に尽力したという。同じ鎌倉市の在住であるため、小津と里見と座談会が行われることも度々あった。他にも茅ヶ崎で天ぷらをたのしむ姿も本章にて収められている。

第四章「志賀直哉、そして『暗夜行路』」
小津にとって作家の中で尊敬する人物は何人書いた。前章で紹介した里見もその一人であり、他にも本章にて取り上げる志賀直哉もいる。志賀もまた、小津の映画について評論を行っており、それらは「志賀直哉全集」にて収められている。他にも座談会にて、小津の映画についてカメラの位置など細かいところまで批評を行ったという。そしてその志賀の代表作である「暗夜行路」の映画化にてメガホンをとったのは別の人だった。その映画の撮影中、志賀本人が度々訪れていたのだという。

第五章「谷崎潤一郎と岡田時彦」
第一章でも書いたのだが、小津は旧制中学の頃から谷崎潤一郎の作品を愛読していた。しかし小津と谷崎は直接的な面識はほとんどなかったものの、何度か文通をしたり、谷崎が小津に映画を見に行くよう勧めたりしていたという。
岡田時彦は戦前あったサイレント映画で何本も主役を演じてきた映画俳優の草分け的存在であり、小津映画にも何本か出演している。

第六章「『断腸亭日乗』、そして荷風と映画」
最初にも書いたのだが、小津作品の真骨頂と言えるのが「東京物語」であり、公開されてから50年たった今もなお批評家の中で語り継がれている。その「東京物語」を制作する間、永井荷風の日記である「断腸亭日乗(だんちょうていにちじょう)」を繰り返し読んでいた旨を自身の日記に記していた。とはいえ小津は永井作品をそのまま映画化するつもりはなかった。もっとも永井は映画嫌いであり、自分自身の作品が映画化されることを嫌っていたという。

小津と作家たちとの交流は小津作品に対し、どのような影響を及ぼしたのか、そして逆に作家たちは小津作品をどう見ていたのか、一部分なのかもしれないが、互いに影響を受け・与え、そして作品の血肉となったことは言うまでもない事実である。そのことを本書は伝えている。

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