新しいアナキズムの系譜学

「アナキズム」というのは一体何なのか調べてみると、

「国家を廃絶し、自由な個人から構成される、相互扶助を基調とする小さな地域共同社会または中間的集団の確立を主張する思想」(Wikipediaより抜粋)

いわゆる「完全自由主義」や「無政府主義」という思想である。アナキズム自体は19世紀にフランスで生まれた思想であるが、本書はそれとは違った新しいアナキズム思想というのを標榜している。自由主義や無政府主義とは一線を画したアナキズムとなっている。

第一章「アナキスト地理学とは何か」
「アナキズム」というのは本来国家的、もしくは政治的な思想の一つであるが、それと「地理学」とどのような接点があるのか私には理解しづらい。
「地理学」というのは、地理の歴史から地理を観測するための分野など社会的な分野から理学に至るまで幅広い学問と言える。しかし「政治」や「地理学」の関連性は無きにしも非ずだが、領土問題という観点でしかなく、関連性はほとんどないと言ってもいいだろう。
しかし本書では両者に関して唯一の接点があるという。エリゼ・ルクリュである地理学についての代表作として「大地」や「新世界地理」、「人間と大地」というのがある。地理学とアナキズムの関連性については九州大学教授の野澤秀樹氏の論文が詳しいが、それについて一切触れられていないところが疑われる。

第二章「闘争空間アメリカ」
著者は現在ニューヨーク在住であるためアメリカにおけるアナキズムには敏感であろう。
本章の冒頭には2005年、G.W.ブッシュ大統領就任の日に行われたブラック・ブロック隊列を取り上げているくらいである。
ここではアメリカの歴史とアナキズムを照らし合わせている。代表的なものでは「南北戦争」が挙げられている。

第三章「都市的蜂起の伝統」
「アナキズム」の概念としては武力・暴力でもって蜂起することにより、国家という一つのかたまりを破壊することにある。しかし著者の考える新しいアナキズムの構想はこう定義している。

「「新しいアナキズム」は、国家権力を奪取し、それに成り代わることによって、世界を変えようとする志向性をとらない。それは「民衆」内部から生成する「豊饒な社会性」によって、アルタナティブな政体の形成を目指しつつ、次第に「暴力の独占」をもとにした伝統的国家権力を溶解することを目指す。その意味では権力と相同型の「武装力」および「暴力」に訴えることはありえない。」(p.117より)

非常にややこしい言い回しをしているように思える。簡単にいえば、安易に暴力に訴えようとせず、政治的もしくは暴力を伴わない力によって、ゆっくりと壊していこうという、「内部改革」というべきものだろうか。

第四章「群島的世界――世界と出会い直すこと、世界を愛し直すこと」
アナキズムの思想でもって、本章では「場所」という地球におけるミクロの観点で論じている。
では著者がこのアナキズムに関して地球をどう論じたのかいかのように主張している。
「「世界=地球」とは、われわれにとって宿命的な、同じ一つの「共通なるもの」であり、その究極的な形態である。(p.133より)」
つまり「世界」、もしくは「地球」はみんな平等に与えられるものであるという。

第五章「地球意志」
地球の意志におけるアナキズムについて書かれている。
私たちは「地球市民」であるのだから国家は必要なく、誰もが平等な「自由」を持つことができるということがアナキズムの思考なのだろう。

アナキズムは良くも悪くもすべてにおける「自由」というのを尊重した世界を目指しているにほかならない。そう思えた一冊なのだが、もしも政府や領土と言った「国家」がなくなり、「人類皆平等」の世界を築くことができるのかというと、まず「無理」というほかないだろう。それは人種や宗教という概念が残っており、その概念に対しての差別や対立、軋轢というのが生じている現実がある。そのことにより戦争や紛争が起こっていることもある。
私自身、アナキズムは所詮「理想論」に過ぎないのではないのかというのが私の考えである。