とっておきの東京ことば

今となっては標準語がまかり通っているが、もともと東京にも「東京弁」や「江戸弁」などの方言が存在した。江戸弁だと古典落語などで聞くことが多いのだが、東京弁はというとあまり聞くことがない。

青森や沖縄のように癖のある方言なのか、あるいは標準語に近いような言葉なのか、本書はその東京弁について数多くの落語の録音に携わるなど、落語の専門家としても名の高い著者が紐解いている。

第一章「神田で生まれて」
元々著者は東京・神田の生まれであり、親からずっと江戸・東京に生まれ・育ったところといえる。その中で生の江戸弁・東京弁を使ったり、聞いたりしていたのだが、その中で東京弁として挙げられるものとして江戸っ子気質を象徴づける「早い話が」を筆頭として挙げている。ほかにも笑点や落語の演芸番組で挙げられる「どどいつ(都々逸)」や、最近歌舞伎町で話題となっている「ぼったくり」の語源となっている「ぶったくり」や「ぼる」もある。

第二章「東京人の話し方」
東京人はどのような話し方をしているのか、あいさつから、相手とのやり取りなどが本章にて取り上げられている。取り上げられているものの中には「どういたしまして」などそのまま標準語として使われるようになったものもあれば、「すイません」など形を変えて標準語になったものもある。

第三章「東京のあけくれ」
東京弁もまた特徴的な言葉がある。もちろん言葉の中には春夏秋冬を表しているような言葉もある。「東京弁」または「江戸弁」として象徴づけられているのが「お湯ウ」(または「湯」)がある。これは何かというと「風呂」「銭湯」を表している。
また本章では、先日ある芸能人が「お疲れ様」の使い方について批判したのが話題となったが、ここでも、

「「お疲れ様」とは、夕方、出入りの職人が仕事をおえて引き上げる際に、親方や頭領、あるいは仕事先の旦那が言うせりふだった。そう、だったのである。目上から目下へ、労をねぎらうことば。職人は「ご免くださいまし」、「お先に失礼をさせていただきます」などのせりふで帰る。
 職人のほうから親方や旦那に「お疲れ様」などと言ったら、お払い箱の憂目を見るか、要観察人物の扱いを受ける。それが、むかしのふつうで自然な世の中だった」(pp.201-202より)

と言及している。「お疲れ様」の本来の用法は江戸時代から存在しており、長らく変わらなかったといえる。

標準語がまかり通っている今だからでこそ、「江戸・東京にも方言があった」ということを知る必要がある。もっとも本書で紹介されている東京弁・江戸弁はごく一部である。しかし忘れ去られてしまった江戸弁・東京弁が存在することを考えると、本書はその一部を知ることができる貴重な一冊である。

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