不寛容社会 – 「腹立つ日本人」の研究 –

ここ最近では社会そのものが「不寛容」になっているように思えてならない。一つの意見があると言っても「賛否両論」があるのは必然としてあるのだが、そもそも賛否両論の中には「不寛容」な要素があり、その不寛容さが社会そのものをギスギスしたものにしている。もっともなぜ「不寛容」な社会が生まれたのか、そのことを分析している。

第1章「他人を叩かずにいられない日本人」
今色々なメディアでは、どこもかしこもどこか、あるいは誰かを「叩く」傾向にある。もっとも叩くことだけで自己満足をしてしまい、具体的な解決方法すら示さない。むしろ「他人の不幸は蜜の味」と言うように面白がって叩こうとするのだからタチが悪い。

第2章「「一億総叩き社会」日本の考察」
大宅壮一が1957年に「週刊東京」にて「一億総白痴化」と言った言葉を生み出した。それが派生して「一億総○○化」というような言葉が出てきている。元々ある「一億総白痴化」と「一億総叩き社会」に共通しているのが「メディア」である。そのメディアにおける「叩き」が社会全体に伝播してしまい、メディア以外でも職場などにも波及してしまっている。

第3章「お笑い!海外の「他人叩き」事情」
海外にも「叩き」はあるのだが、国民性からなのか、傾向が異なる。社会全体で「叩く」傾向はどこにでもあるのだが、そもそも「叩き」の要因はメディアによって棹される日本とは違い「カースト」のあるインド、さらには枠の内外にて差別をするイタリア、そして権威と失敗にうるさいスペインなどがあるという。

第4章「世界に学ぶメンタリティ」
メンタリティについても国民性によるためそれぞれの国によって異なる。日本は「他」や「空気」などを過剰に意識する一方で「面子」を意識する、個人主義を重宝するなど国によって異なると言う。

第5章「新時代のただしい「正義感」とは」
私自身「正義」と言う言葉は嫌いである。もっとも「正義感」は誰にでもあるのだが、それが強くなり過ぎることによって「偏見」が出たり、「面倒」と呼ばれるようなことにもありかねない。

「生きづらい」と呼ばれる社会であるのだが、その要因として最も大きいものとして「不寛容」がある。なぜ不寛容なのか、その傾向などを知ることができる一冊であった。

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