テレビニュースは終わらない

本書はテレビニュースに取り巻く環境と現状について書きながら表題にあるとおりテレビニュースは終わらないと結論付ける1冊である。

9・11事件から始めイラク戦争、そして4年前にイラクで起こった人質事件における報道の在り方について事細かに書かれているだけではなく、ブッシュが再選を果たした2004年のアメリカ大統領選挙についてのニュースも書かれている。

私見についてはテレビニュースは終わらないのは私もその通りであると思う。しかし、今のままの状態で続くならば、私はテレビニュースはいらない。というのは今の報道は談合状態(どの局にしても同じ映像やニュースの内容にあること)にある。さらにニュース自体の深いところまで探っておらず、それにコメンテーターの発言によってメディアが左右されてしまっている状況にある。

これでは我々がメディアによってコントロールされている。そのため我々はこの情報化に置かれているというよりも情報が一方的すぎるので冷静な判断ができなくなっているのも事実である。しかし、メディアというのは我々が享受する政治的、経済的情報を供給できる数少ない手段であり、ニュースは局によって多岐にわたるのでその独自性が見いだせられること、さらにはそこでしか得られない情報がはっきりしていることが重要になってくる。

ではなぜそれができないのか、それは企業努力がなっていないからで片付けられてしまうかもしれないがそうではない。政治的な話題に限ってみてみると在京キー局(主要キー局)には「政治部」というところがありそこで情報の取捨選択を行っている。しかしそれが重要な情報であったり少し踏み込んだ情報がほとんど流れないようにしている。というのは政治家の軋轢にさらされているのがこの政治部だからである。

当然都合の悪い情報が流れると圧力がかけられるか、もしくはその議員のところへの取材禁止になってしまうという心配があるからだ。つまり政治かによって政治的情報が制限されているといっても過言ではない。そして結局足並みをそろえていくしかないということになる。これは検察関連も同じである。

ではどうすればよいのか。私は政治部は廃止すべきという暴論は言わないものの、政治家の軋轢について恐れることはないようにしてほしいと思う。やましい情報を流せとかいう政治家のほうが我々にとっては信頼できるし、むしろそういう情報を隠したがる政治家のほうが一体何をやっているのか分からない。それでは信頼を得られるわけがない。だからでこそ隠したがる政治家をメディアは見限って情報について開示できる政治家のほうがやっぱり国民に信頼できるのではないだろうか。

インターネット普及によってTV離れによりTVニュース離れも深刻になっているのは否定できない。インターネットでは軋轢が薄いところもあるし、PJニュースといった独自の視点によって伝えられているニュースも存在する。独自の情報を取りたいということからTVよりもネットのほうが強い印象もある。しかし、ネットにも悪い側面もある、検閲がほとんどないのでデマの情報も出ている。それを考えるとどっちつかずと言う印象もある。

何度も言うがTVニュースはなくならないし、なくなってほしくはないがしかし今の状態で入らないと私は思う。独自性とそして視聴者が知らないような情報を流さない限りTVニュースの意義が廃れるのではないだろうか。

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