差別禁止法の新展開―ダイヴァーシティの実現を目指して

日本には「男女雇用機会均等法」をはじめ、差別を禁止するという法律が多々存在する。さらに差別の撤廃を訴える学会や運動団体というのも世界中に山ほどある。

ではなぜ差別というのが起こるのだろうか、本書の表題のように差別禁止法を展開できれば差別のない社会ができるのか。差別のない社会は果たして「幸せ」なのだろうか。本書を読んでいると中に去来した考えである。

第1部は序論であるが、ここでは今日起こっている様々な差別について簡単に説明を行いながら本書の構成について書かれている。

第2部は総論について書かれている。

第1章は日本における「差別」のほうに関する問題と、「差別」の根本である。
まず日本では前述のように「男女雇用機会均等法」をはじめ様々な差別撤廃に関する法律がある。これは憲法に基づかれている「法の下の平等(憲法第14条)」というのに属しているとみられる。つまり日本では法律の範囲内での平等は担保されている。また憲法上では貴族制度や特権の廃止などが挙げられているが天皇の問題の解釈にも言及されることもある。しかし今回はそれに関しては述べることはない。今日の日本で今なお根付いている「差別」は部落、民族、そして最近出てき始めた「(所得等の)格差」にまつわる差別である。前者の2つは法律がつくられてもその間の隔たりを消すことは非常に難しい。

ちなみにアメリカでは人種差別はいまだに根強く残っており、KKKと呼ばれる人種差別団体(白人優越団体)もあるほどだ。今回の大統領選に当選し、来年1月20日に新大統領となるバラク・オバマが暗殺されるという報道までされているため、人種差別がいまだに残っているということが窺える。アメリカの差別でももう一つあるのが宗教差別である。アメリカ内部での宗教差別もさることながら、先のイラク戦争ではイスラム教に対して侮辱的な扱いを行ったことによりイスラム教を主とする国々がブッシュへのデモが起こったことも有名なことである。さらに経済学、心理学、哲学、人事管理的観点からの差別というのもあってなかなか面白い。経済学的に行くと、差別というのは競争原理において非常に役にたつものである。「差別」という考えは非常にネガティブなイメージを取られやすいが、これは人道的なものであり、経済学から考えるとそうではない。むしろ良いことである。最たる例が今までの動物園のモデルから一線を画した旭山動物園がいい例だろう。差別化を図ることによって上野動物園を抜き日本一の集客数を獲得できたのである。

そして心理学的にみる「差別」は日本における「差別」やアメリカにおける「差別」と同じような観点で語られるだろう。

哲学的になると度の哲学から考えていけばいいのかというので「差別」に対しての姿勢は大きく変わってくる。ここでは差別を排した「個人の尊厳」、社会全体の利益を最大化する「功利主義」もあれば、アリストテレスの「正義」観にまで言及している。では哲学的に何をもって差別になるのかというのも主義によってまちまちである。

第3部は各論に入ってくる。ここでは「年齢」「障害者」「性的指向」「美醜・容姿・服装・体型」「雇用」「社会保障」といった差別について書かれている。

とくに本書には書かれていなかったが似ているものとしては第4章の「美醜・容姿・服装・体型」であるが、最近撤廃され始めている中で時代を完全に逆行しているところがある。人材派遣業である。一部の人材派遣業者は派遣企業を求めている人を見た眼をチェックリストにして、どこの企業に割り当てるのかというのを決めているという。その中には明らかに差別ととらえかねないような内容まで書かれていることから社会問題となった。社会問題になったことによって解消はされてきているものの、まだあちらこちらでやっている。派遣業に限らず企業の闇は深い。

第4部は差別を解消するための企業の取り組みについて紹介している。以前までの企業では女性の社会的地位が低かったがために女性が昇進する機会というのが少なかった(今でも欧米から比べても少ないのは事実である)。とはいえ差別撤廃が進んだことにより女性の社会的地位が向上した。しかし肝心なことを忘れてはいないだろうか。女性の社会的地位向上はいいとしてもそれに伴って晩婚化、少子化が進んでしまっている。最近では育児休暇等の充実も図っているものの、実際に結婚願望の薄弱化が根本原因にあるようだ。障害者採用も取り入れられているところもあると考えると、日本の労働状況はよくはないが悪くもない状態にあると考えてもいい。とはいえ差別の撤廃は底をつき始めていると私は思う。今度は企業自身がその制度をフルに使えるような環境を提供することが最大の課題と言えよう。差別の禁止を今度イニシアチブを取らなければいけないのは企業である。