台湾意識と台湾文化―台湾におけるアイデンティティーの歴史的変遷

本書は中国語による「台湾意識与台湾文化(台湾大学出版中心、2007年)」より1・3・4・6・7章を抜粋して日本語に翻訳したものである。台湾の意識というのは時代とともに大きく変わった。戦前には日本の植民地として日本人意識を学び、蒋介石率いる国民党での政策により、中国寄りになるが民主化への運動が活発になり、李登輝が相当になってから民主化され、2000年には台湾初の選挙による政権交代、2008年にも政権交代とおそらく日本以上に民主主義的な国となっている台湾がある。しかし中国とは独立問題でいまだに緊張状態である。その危険意識から「東アジアの火薬庫」と言われている。本書は台湾人にあるアイデンティティーと歴史問題について考察したものである。

第一章「「台湾意識」の発展およびその特質――歴史の回顧と未来への展望」
1987年に「世界最長」とも言われた戒厳令が解除され、「台湾人」としての意識が問われ始めた。あれから22年、どう変わっていったのかは私にもよくわからない。しかしこれだけは言えるのは、台湾に住んでいる人達は何人かと聞かれると、「台湾人」「中国人」「どちらでもある」という人に分かれる。それ以外の人もいるが一応大きく分けてということなのでそこのところは御愛嬌ということで。

台湾人としての意識を歴史的に紐解いていくと「清」の時代に遡る。日本で言う所の江戸時代中期〜明治時代と言ったあたりであろう。その時は四害の一つとされており、アヘンや伝染病などの宝庫とされていた。さらに民族も多く言語や通貨もバラバラであった。清王朝は対策は立てているのか分からない状態で、あたかも法治の状態を続けていたのだろう。

1895年に日本による台湾統治が始まったが最初は抵抗を武力でもって鎮圧を行っていたが結果は実らなかった。しかし第四代総督児玉源太郎の時からは後藤新平を総督府民政官に携え防疫やインフラ整備からのアプローチによる政策を行ったことにより、一気に治安は良くなった。またバラバラだった言語や通貨も統一された。差別はあったものの、当時のことで日本に対して礼賛している台湾人もおり、日台友好関係の一つの要因となっている。
日本敗戦後は前述の通り国民党統治下に置かれ、二・二八事件の後、戒厳令が敷かれた。その間はほとんどが思想教育や弾圧など行われたくらい社会となってしまった。87年に解除され民主化の道を辿り現在にいたる。

第二章「「台湾意識」における「文化アイデンティティー」と「政治アイデンティティー」との関係」
台湾の歴史が主だった第一章に続くのが意識、文化と政治の両方のアイデンティティーの関係を考察しているところである。今台湾が外交上最大の問題を抱えているのが前述にある「独立問題」である。中国は「一つの中国」と譲らない姿勢を取り続けている。台湾は国民党統治下、とりわけ蒋介石独裁時代は中国と国交を結んだら、中華民国との国交を断交すると迫ったという。中国か台湾のどちらかを結ぶ、双方とも国交を結ぶことができないというような状態であった。今は中国側が圧力により双方の国交を結ぶというのが不可能である。

政治的な要素ばかりになってしまったが、本章で考察しているのは「政治」「文化」のアイデンティティーの不可分性と緊張性があるという結論に至ったという。第一章の前半にも書いたがアイデンティティーがそれぞれ違っており、はっきりと親日・反日という人、文化的にも中国から取り入れているものから日本から取り入れられたものまである。
台湾ほど他国の軋轢にもまれた国は珍しいことを象徴付ける章である。

第三章「日本統治時代における台湾知識人の大陸経験――「祖国意識」の形成、内包およびその変化について」
第四章「日本統治時代における台湾知識人の中国前途に対する見解――1920年代「中国改造論」を中心に」
この2章では日本統治時代における台湾知識人の見解や経験について書かれている。日本統治時代の台湾知識人は二・二八事件でほぼ全員が殺されてしまった。
二・二八事件について少し説明する。
日本が敗戦し、国民党は大陸での国共内戦(国民党と毛沢東率いる中国共産党との内戦)の一方、台湾を統治下におこうとしている時である。国民党に対する不満を爆発させ市庁舎を占拠して抗議デモを起こしたのが1947年2月28日ということで「二・二八事件」と名付けられた。その後はというと国民党の弾圧・虐殺により約28.000人殺され、台湾統治をやりやすくするために知識人をほぼ全員計画的に全滅したとされている。その後戒厳令が敷かれ恐怖政治が続いた。

さて本章の話題に戻るが、日本統治時代の台湾知識人は日本の統治の良さを評価する一方で同じ中国系として中国を思う人も少なくなかった。それがある要因は二等国民という烙印を押された差別意識にあるのだろう。敗戦後、大陸から中国人が来るということで歓迎ムードであったが、あまりのみすぼらしさ、そしてモラルのなさに「豚」と揶揄したということはあまりにも有名な話である。

さてもう一つは1920年代における「中国改造論」についてである。これについては1920年に創刊された「台湾青年(後に「台湾」→「台湾民報」となる)」が1926年8月に起こった論争であり、中・日・台との関係による改造論を唱えた論争である。期間、規模ともに小さなものであったが、歴史敵意が大きいため本書で取り上げたという。

第五章「戦後台湾における文化変遷と主要方向――個体性の覚醒とその問題」
戦後台湾の変遷は「激動」という言葉に相応しかったのではないだろうか。とはいえ他の国でも米・ソなどとの軋轢に巻き込まれた国も存在しているので、台湾だけがというわけではない。ただし政治的に見たらの話である。

しかし文化的に見たらどうだろうか。もともとは民族も通貨も、ましてや文化もバラバラであった台湾が日本統治により統一になり、戦後は国民党独裁により中華思想が植え込まれ、李登輝が総統就任により多様な文化が取り入れられた。今台湾は中国の要素も、日本の要素も、西洋の要素も取り入れられている数少ない国である。しかし「台湾」のアイデンティティーの根幹は何なのかと聞かれると答えに窮する。それだけ他国の影響を受けている国は少ないのだから。