議会は踊る、されど進む

「会議は踊る、されど会議は進まず」という言葉がある。この言葉は1814~15年に行われた「ウィーン会議」の状況を表している。本書は議会が騒いでいても、物事は進んでいったという話であるが、その実例として東京都東久留米市を取り上げており、とある市長が就任してからの4年間はまさに「異常事態」と呼ばれていながらも、メディアではほとんど取り上げられなかった。その理由について取り上げているのが本書である。

第一部「政権交代のち公約違反」
第一章「迷走する市長」
本書にて取り上げられる東久留米市長は2010年に就任した馬場一彦氏である。言わずもがな選挙によって選ばれ、政権も交代したものの、市長が就任した当初、与党は過半数を割っており、議会が紛糾することは明白だった。そして案の定、市長就任した後の議会は紛糾し、公約に掲げたものが次々と否決され、迷走の一途をたどっていった。その大きなきっかけとなったのは、大型商業施設の誘致の失敗だった。

第二章「縮小する財政」
自治体の中でも重要な要素として予算があるのだが、その予算は自治体の議会の可決が必要になる。しかし当時の東久留米市は予算案を議会に提出しても否決することになった。そして「民主主義としてはあるまじき手段」を講じたわけであるが、これは次章紹介することとする。
財政的に公約となる大型商業施設の誘致にかかわる費用もあり、ひっ迫していったのだが、それに関しても議会に指摘されたという。

第三章「踊る市議会」
前章にて、「民主主義としてあるまじき手段」と言ったのだが、それは何かというと市長の「専決処分」により、一方的に予算を決めたことにある。その理由は議会の予算案否決に伴い、翌年度の予算が白紙になることが確実視されるもそれを恐れた市長は「専決処分」という形で成立することになった。当然議会も荒れ、辞職勧告を何度も決議したという。しかし「辞職勧告」には法的拘束力がなく、本来であれば「不信任決議」をすべきだったのだが、実際に市長の任期中一度も提出されなかった。

第四章「傍観する市民」
議会と市長がいがみ合っていた中で市民はどのような反応だったのかというと、意外にも「傍観」一辺倒であり、異議すら唱えられなかったという。馬場氏が市長になる以前は何度も市民は立ち上がったのだが、それらはすべて挫折してしまい、市民は立ち上がることなく、あくまで批評家のような形になり、傍観する形を徹したという。

第五章「風に流される選挙」
馬場氏の任期は1期だけで終わった。しかし本人は2期目をやろうかどうか迷っていたのだという。しかし市民の視線は冷ややかであり、なおかつ、議会との関係も嫌悪であったことから再選をしても結局のところ逆風のままだったのだという。そのことを鑑み、「風に流された」形で不出馬となった。そして馬場市長は2014年1月の任期満了に伴い、退任することとなった。

第二部「地方自治再生のための処方」
第六章「支えられた市長」
議会と市長が対立しても、市民に支えられて市長をつづけた人がいた。それは東京都狛江市の前市長である矢野裕氏である。矢野氏は1996年に市長に就任し、4期16年という長期政権を維持したのだが、そもそも矢野氏は共産党の市議会議員から市長になり、議会は保守が与党を支えていた。そのため当時の東久留米市と同じ様相であり、いがみ合っていた時期もあったのだが、市民にプラスマイナス問わず情報を公開したことを徹底し、市民も理解されたことにより、議会もスムーズになっていき、長期政権を築いていったという。

第七章「立ち上がる市民」
東久留米市の教訓についての事例をもう一つ取り上げる。それは東京都小平市であり、そこでは計画道路の建設について市長・市議会、それだけではなく市民との対立が起こり、市民が立ち上がったことにより、住民投票に発展していった例がある。その事例を通じて市民・市議会・市長がどのような関係にしていったのか、そのことについて紹介している。

市長と市議会の対立は何も東久留米市ばかりではない。しかし東久留米市のように予算をはじめとしたありとあらゆる条例案が否決され、「専決処分」となっていったこと、そしてそのことにより、議会とのいがみ合いが発生したこと、にもかかわらず市民は冷ややかだった例は東久留米市以外の事例は存在しない。しかもその事例を鑑みると民主主義とは何なのかわからなくなってしまう。しかしそういったことも地方自治体で起こるとするならば、本書で取り上げられている東久留米市の事例は良くも悪くもモデルケースと言え、それを教訓としていかに市政を行っていけばよいのか、そして市民はどのように見ていき、行動していけばいいのか、それを考える参考となる一冊である。