贈答の文化は世界中に形は違えど存在する。日本でもその例外ではなく、夏の「お中元」やもうそろそろやってくる「お歳暮」などが代表的である。ほかにも「結婚祝い」や「出産祝い」、「快気祝い」などの祝い事にも贈答の文化が根付いており、その「お返し」もまた根付いている。
日本の文化に「贈答」が根付いたのはいつの時代だったのだろうか。そしてなぜ「贈答」の文化が根付いたのか、本書は民俗学、宗教学、哲学などの観点から解き明かしている。
第一章「贈答の過去と現在」
本書では贈答の歴史、というよりも明治時代からの「贈答」の変遷について述べられており、贈答の歴史は一部分しか述べられていない。しかし本書から見るに、明治時代以前から日本は「贈答文化」があることが見て取れる。明治時代は生活面でも近代化や合理化が叫ばれ、その一巻として贈答の文化の廃止を明文化する趣意書があれば、「贈答廃止会」という団体があったほどであるという。
第二章「贈答の仕組み」
ここでは「贈答」そのものの定義について、哲学的な観点から論じている。
「贈与」というと日本では民法で明文化されているが、哲学的に論じているのはレヴィ・ストロースやマルセル・モースなどが挙げられており、「贈答」がいかにして構成されていたかが解き明かされている。
ほかにも日本においての「贈答」や「贈与」の成り立ちについても民俗学・言語学的な観点から考察を行っている。
第三章「贈答の諸相」
ここでは「贈答」がいかにしてそれらの文化が成長したのか、民俗学などを裾を広げて考察を行っているが、ここからは学問的なところよりもむしろ「バレンタインデー」など最近できた行事についても論じているため、どちらかというと身近なところである。
第四章「贈答と宗教的世界」
日本における贈答の文化は「宗教」としての色よりも、むしろそれぞれの「習慣」や「慣例」などによって形成された色が強い。民俗学でいう「ハレ(本来改まった生活状態)」と「ケ(普段の生活状態)」という言葉により、贈答の慣例が「贈答」の文化として形成されるというストーリーであるが、本章では日本では関心が薄いが、私たちの生活の中に染み込んでいる「宗教」としてのアミニズムの観点から贈答の文化を考察している。
最初にも「お中元」や「お歳暮」などを引き合いに出したが、日本人の風習として「贈答」は切手も切れないものである。しかしそれがどのような歴史でもって形成されたのかは未だに解明されていない。おそらくこれらの文化は本書にて多く扱われていた民俗学や宗教学など歴史では語りきれず、むしろ風習などが変化していきながら形成していったという方がよいと、本書を読んで言える。
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