愛国心~国家・国民・教育をめぐって

「愛国心」という言葉は最近いわれ始めたことではないものの、近年叫ばれているものとして挙げられている。それと同時に政治思想としての「憂国」や「ナショナリズム」なども論じられることが多い。

では「愛国心」はどこから生まれて、どのように定義されてきて、そして戦後日本はどのような「愛国心」像を持っているのだろうか、本書は思想の右・左を超越して、論じている。

第1章「戦後日本の愛国心論」
戦後日本の論壇で「国家」のことを論じるにあたり「憂国」や「愛国」という形で論じられる。その多くは「保守」と呼ばれるスタンスの方々あり、比較的私もそれに近い(かつてその傾向にまつわる本を取り上げることが多かったため)。
戦後日本はGHQの占領政策により、かつてあった教育や国家が否定され、左傾化していった。その象徴の一つとして「六十年安保闘争」「大学紛争」「ベ平連」などの運動につながった。
さらに80年代以降になると保守的なコラム・オピニオン誌が次々と創刊していったことも背景にある。

第2章「愛国心とは何か」
そもそも「愛国心」はどのように定義されているのだろうか。調べてみると、

「自分の国を愛し、国の名誉・存続などのために行動しようとする心。祖国愛。」goo辞書より)

とある。その「愛国心」は第1章にもあるとおり、「保守」の思想スタンスを持つ論客や人がよく使う。その用法によっては「日本が好きだ」というような「愛国」というよりも、「このままでは日本が危ない」というような「憂国」と呼ばれる今の状況を憂う方々もいる。
「愛国心」にも「パトリオティズム(愛郷心、通称「パトリ」)」や「ナショナリズム(民族主義、通称「ナショ」)」といったところにまで分類され、極端にいうと「愛国心は誰でもある」というような状況にある。

第3章「ネーションとナショナリズム」
ネーション(Nation)は直訳すれば「国家」そのものをいう。しかし第2章にも書いたように「ナショナリズム」は「民族主義」という。この差はいったい何なのだろうか。
そもそも「ナショナリズム」の定義も曖昧であり、本来は「国家主義」のことを言う、それが国家として政治が成り立ち、その単位として「民族」が成り立ち、それが「民族主義」という概念に形成づけられた。

第4章「国民国家と国際関係」
その「ナショナリズム」の本来の定義である「国家」であるが、その「国家」は近代いかにして成立したのだろうか。「国家」そのもの概念は紀元前に古代ギリシャ哲学にて成立したが、「近代」となると16世紀にまで遡る。その「近代」国家の歴史と国際関係の変遷について考察を行っている。

第5章「愛国心の教育」
法律としてはじめて「愛国心」が触れられたのは2006年の教育基本法の改正からのことである。それ以前にも「国旗・国歌法」が1999年に制定された。日本、そして「愛国心」を「法」という形で構築することを政府は行った。政府主導の「愛国心教育」はうまく言っているかというと政権交代をしてから、効果があまりみられない現状もある。

「愛国心」そのものの考察、さらに「愛国心」の歴史と教育はいかであったのか、本来ある思想を抜きにしてみることのできる一冊と言える。