ロウソクと蛍光灯―照明の発達からさぐる快適性

もはや人間の生活とって「照明」は欠かせない。しかし「照明」そのものがいつ頃から親しまれたかというと、あまり知られていない。古代であれば焚き火を使ってそれを照明の代わりにしたことを想像してしまうのだが、はたして「照明」は人間にとってどのように親しまれたのか、そして、これから私たちはどのように「照明」と付き合っていくのか、本書はその歴史と傾向について分析を行っている。

第一章「太古から産業革命以前までの人間生活と照明」
古代、人は「光」そのものは「神聖なるもの」として崇められていた。その「光」も「灯り」として使われ始めたのが中世になってからのことであるが、西欧では暖炉や蝋燭といった「火」を使った灯りが中心であった。

第二章「寒くて暗い国に起きた産業革命と光源の発進」
やがて産業革命が起こると、「灯り」もオイルランプやガス灯、そしてアーク灯から白熱電球、蛍光灯へと短期間でめまぐるしく進化を遂げてきた。その進化のなかで西欧は「光」は神聖なものから「文化の象徴」として扱われるようになった。
そしてその風潮は西欧から日本へと渡り、日本でも文明開化のなかで「街灯」がともるようになった。

第三章「照明採光技法の発進」
白熱電球が広まりを見せ、それを駆使した照明技術・建築が進んだ。さらに「~ルクス」と呼ばれる照度をコントロールした工夫も目立ち始めた。

第四章「近代以後のビル様式の流れと照明の変遷」
「照明」の技術が進化する度、「快適性」や「安全性」を重視したものになっていった。そのような傾向の「照明」は日本で言うと、主に「オフィス(ビル)」が挙げられる。

第五章「照明の後戻り」
しかし「明るさ」絶対主義の照明は陰りを見せた。スピードが求められるような明るさが、人の中で「癒し」を失い、求められているはずだった「快適性」も失われていった。その中で提唱され始めた「スローライフ」には「明るさ」を押さえ、程良い「明るさ」と「暗さ」を醸すことによって「癒し」や「快適」を見出し、「暗さ」の価値が上がっていった。

「ロウソク」「蛍光灯」いずれも「明るさ」を私たちの生活にもたらしたものである。

「ロウソク」から「蛍光灯」へ

それは人にとって「明るさ」をこの上なく求めた。しかしそれに陰りを見せたとき、

「蛍光灯」から「ロウソクへ」

と戻りつつある。ある哲学者が唱えた「万物は流転する」ように。