後藤新平~大震災と帝都復興

今日9月1日は「防災の日」である。
この日になった理由は、今からちょうど90年前の今日、神奈川県相模湾を震源とした地震(大正関東地震)が起こった。後に「関東大震災」となり、約10万人もの命を失った。命だけでは無く、神奈川・東京を中心に多くの家屋を失ってしまった。
その震災から復興するために後藤新平「帝都復興計画」を計画・指揮し、台湾や満州の開発にも携わった男について再評価をしたのが本書である。

第1章「生い立ち―水沢の気風と陪臣の心意気」
後藤新平は1857年に仙台藩(現:岩手県)の城下町・水沢にて生まれた。仙台藩一門の家臣の息子出あったため身分に恵まれていたのだが、明治維新が起こり、版籍奉還されたときには身分まで取り上げられた。しかし政治家・安場保和に認められ、教養を身につける機会もできた。
その教養が後の医者や政治家としての基礎を築き上げた。

第2章「地方の医師から内務省衛生局長に」
元々後藤は政治家を志願していたのだが、蛮社の獄をはじめとした言論弾圧があり、政治家よりも医者の道に進んだ。後に愛知県の医学校に進んだのだが、そこで板垣退助の診察を行ってからは、政治家の人脈も築き上げてきた。医者としての評価を見出し、内務省衛生局長になってからは医者と言うよりも「官僚」としての仕事に変わった。しかし相馬事件が引き金となり全ての職を失い、地方の検疫業務に携わることとなってしまった。そこでも思わぬ出会いがあった。後に台湾総督となる児玉源太郎との出会いである。

第3章「台湾総督府の民政長官」
日清戦争終結後、下関条約により台湾と遼東半島の割譲を受け、台湾は日本の統治下に置かれた。児玉は1898年に台湾総督に任命されたのだが、任命と同時にかねてから見出していた後藤を民政長官に任命した。
当時の台湾は「化外の地」としても知られており、病気や麻薬(阿片)が蔓延していた。また地元民族の反乱もあり、武力で弾圧をする、といったことも度々起こっていた。
しかし後藤は硬軟織り交ぜた政策を打ち出し、実行していった。具体的には、

1.阿片の政府専売化(段階的に規制を敷き、その後全面禁止とする布石)
2.サトウキビやサツマイモ栽培などの農業政策
3.経済改革とインフラ整備事業の策定
4.1.~3.を推し進めるための調査事業

が挙げられる。政策の根幹として「生物学の原則」という考え方に則り、実行されていった。医学で培っていた経験も「阿片政策」などで実行されていった。

第4章「満鉄の都市経営―大連と長春」
台湾を改革させた手法は満鉄総裁になってからも踏襲された。日露戦争終結後「南満州鉄道」の初代総裁に就任した。当時は袁世凱をはじめとした北洋軍閥が別の鉄道事業を画策していたのだが、それを頓挫させ、日本・ロシア帝国・清王朝三国の協調を図り、反日勢力を抑えようとした。
鉄道の敷設と同時に満州の都市計画も行っており、後に関東大震災後の「帝都復興計画」をはじめとした都市計画の礎を築いた。

第5章「東京の都市問題―都市計画法の制定」
その後政府に戻り、内閣鉄道院総裁・内務大臣・外務大臣と官職を歴任した後、拓殖大学学長・東京市長を歴任した。
本章ではその中で寺内内閣における内務大臣時代に作られた都市計画法である(交付されたのは1919年)。当時の東京は江戸時代に名残がまだ残っており、近代化がなかなか進まない状況にあった。後藤は財源や人材確保、さらには都市計画普及に心血を注いだ。それが次章以降に書く「帝都復興計画」の大きな礎となった。

第6章「関東大震災と帝都復興計画」
1923年に起こった関東大震災により、東京・神奈川を中心に壊滅的な被害を受けた。迅速な復興をすべく、政府は帝都復興院を設置し、総裁として後藤が招聘された。同時に内務大臣の職に就いていた後藤はすぐさま復興計画の策定を行い「復興事業計画」を作り上げた。しかし震災直後の財政事情が困窮し、財源は削られ、野党の反発で計画そのものが大幅に縮小し、ようやく動き出した矢先に「虎ノ門事件」が勃発し、ようやく実行する準備ができたにも関わらず失脚の憂き目にあった。しかし復興事業は縮小され、実行も受け継がれ帝都復興はもちろんのこと、近代化にも大きな拍車をかけた。

第7章「帝都復興事業の遺産」
「帝都復興事業」には街路や広場、公園、幹線道路、区画整理などが存在していたが、地元住民・官僚など様々な所から反対運動が起こり、計画そのものが縮小されたが、各方面に呼びかけたり、説明したりするなど地に足をつけて行った。その呼びかけの中には世界に向けた帝都・東京にするためのビジョンが描かれ、かつ日本をより強くしたいという、熱い気持ちがこもっていた。

関東大震災から90年、阪神・淡路大震災から18年、そして東日本大震災から2年半の月日が流れた。今でも南海トラフをはじめとした地震のリスクを抱える日本であるのだが、地震への被害を最小限に目が行っているように思えてならない。確かに最小限にすることも必要なのだが、東日本大震災のように震災が起こってからの復旧や復興に向けてのスピードも加速していく必要がある。そのためには都市計画をはじめ、決断力などのリーダーシップを持つ人物が必要である。第二・第三の後藤新平が望まれるのだが、今の政治家で、果たしているのだろうか。

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