本書はフィクションのようであるが、ほとんど著者と自伝とも言える作品である。本書のタイトル「いねむり先生」は作家としても有名であるが、それ以上に麻雀では「雀聖」という名をほしいままにした阿佐田哲也(色川武大)を表している。なぜ「いねむり」かというと、戦後間もないときから突発性睡眠症候群(ナルコレプシー)にかかっており、所構わず居眠りをする事があったために名付けられた。阿佐田哲也の周囲には麻雀仲間、作家仲間などが大勢集まる事が多かった。著者も阿佐田哲也と周囲の人々の交遊を通じて、作家として、人間として色々なものを得ていった。
阿佐田哲也に初めて出会う前、著者は深い悲しみにうちひしがれていた。女優であった最愛の女性を亡くしたからである。その傷は癒えることはないのだが、阿佐田哲也をはじめとした人々の関わりによって著者は救われた。
そして作家としての現在がある、伊集院静としての現在がある。そのことを知る一冊であると同時に、「麻雀放浪記」などの作品でしか見ることのできなかった阿佐田哲也の勝負強さとは異なる「暖かさ」「優しさ」を垣間見た一冊でもあった。
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