正しいか?誤りか?それは問題じゃない―話しことばのフィールドワーク

「ことばは生き物である」ということはよく知られているのだが、実際の所、言葉や使い方の変化を許しがたい、「日本語の乱れ」と言うことで批判するような人も少なくない現状もある。私はと言うと、「ことは生き物である」思想を支持しており、絶えず変化をする考えを持っている。もちろん本書もそれが大前提で成り立っている。ではどのような変化が起こっているのか。著者が自らゼミなどの場で行われてきたコミュニケーションの体験をもとに考察を行っている。

第1章「文法? いやだなあ―覚えることがたくさんあるから」
言葉には様々な「文法」が存在する。ただでさえ日本語はひらがな・カタカナ・漢字と覚えるモノが多いのにもかかわらず、文法も覚える必要がある。しかし文法を完全に覚えていなくても通じていればそれで良い、と言う方もいる。実際に日本語における文法は完全な正解はなく、学説の中でも最も有力なモノが選ばれているのだという。もちろん有力説や常々変化が起こっており、日本語の進化と同じくして文法も進化していると著者は言っている。

第2章「「ちがくて」「ちがかった」―乱れていると怒る前に」
本書は「話しことば」が中心となる。本章では「違う」というものを話しことばにしたときに「ちがくて~」とか「ちがかった~」といった言葉の活用をする方、主に私たちよりも下の世代の方々が使うのだが、本来の在り方に固執する人に取っては耳障りなものであり、「日本語の乱れ」の一つとして槍玉に上げる。しかし第1章でも書いた文法の変化もそうだが、活用も変化がある。活用というよりも「言い方」と言った方が適当なのかも知れないが。

第3章「活用は変化のパターン―でも活用も変化する」
日本語の活用にも変化は存在する。しかし「活用の変化」は人それぞれ異なっており、使い方も異なってくる。そのことを著者はヒアリングをもとに明かしている。

第4章「相手が変われば―同じ話も中身が変わる」
話していることは言葉ばかりではない。その人の人格も含めて中身を創造したり、捉えたりする。とりとめの無い話しでも相手によっては意味のあるような事になったり、ある人が話すと、本当に何は為しているのか分からないと思ったりすることがある。なので、コミュニケーションと言っても話し方を変えるだけでは、意味がなく、相手への印象を変えることもまた、コミュニケーションの改善とも言える。

第5章「出会いのことばに映る―気遣いの差」
「相手」によって変わるとあるが、その相手も「友達」だったり、「恋人」だったり、「上司」だったりとある。もちろん相手によって変化を持たせることは大切なのだが、どのように変えていく必要があるのか。そのことについて取り上げている。

第6章「究極の基本―母音さえも人それぞれ」
日本語としての「究極の基本」は「母音」である。その「母音」も本章のサブタイトルの通り「人それぞれ」である。「人」というよりも「方言」でイントネーションが変わるので、「地方それぞれ」と言う方が良いのかも知れない。

日本語は難しく、奥が深い。しかしそれを深めていくととたんに面白くなる魅力がある。よく「正しい日本語を使え」と主張する本や人を目にするのだが、本当の所どのような観点で「正しい」のかは分からない。むしろ常々変化しているのだし、さらに言えば言葉は相手に伝えるためのツールである。そのツールは時代と共に絶えず変化していくわけだから、変化に目くじら立てるのは「それは問題じゃない」と喝破できるのかもしれない。

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