英国王のスピーチ――王室を救った男の記録

2010年にタイトルにある映画が全世界で上映されアカデミー賞の作品賞など賞を総なめにした。その映画の主人公が、イギリスをはじめとした欧州連合の前国王だったジョージ6世である。ジョージ6世はかつて吃音症に悩まされたのだが、言語療法士の治療によって名演説家への道を歩みだした。

本書はジョージ6世の吃音症を治した言語療法士ライオネル・ローグの日記・書簡を元に、ローグの生涯を描いた一冊である。映画で描かれることの無かった言語療法士の側面がここにある一冊と言える。

第一章「国王陛下万歳」
1937年5月12日、この日にアルバート・フレデリック・アーサー・ジョージ皇太子(以下;アルバート)は国王・ジョージ6世として載冠した日である。この日の演説はジョージ6世とローグとで何度も演説の練習を繰り返した。それが功を奏して、名演説となり、「国王陛下万歳」というかけ声がこだました。

第二章「庶民の植民地人」
ライオネル・ローグが生まれたのは1880年、オーストラリアで生まれた。そのときのオーストラリアはイギリスの植民地であった。そのため本章のタイトルが名付けられた。

第三章「英国への航路」
ローグは言語療法の技術を学び、実績をつけ続け、1924年にオーストラリアからイギリス本土に渡った。言語療法についてさらに深く学ぶ必要があったからである。しかし、ローグがイギリス本土に渡ったとき、国内情勢は混沌としていた。

第四章「成長の痛み」
後のジョージ6世となるアルバートは1895年に生まれた。幼少の頃から王族のためのスパルタ教育を受け、国王としての素養を身につけたのだが、親族の死や兄弟との比較に苛まれ吃音症となってしまった。また国王になる前に演説をすることになったのだが、これによりアルバートが吃音症であることを知らしめるきっかけとなった。

第五章「診断」
ローグが初めてアルバートを診断したのは、1926年のことである。その初めて診断した「診断書」を元に、アルバートの症状を具体的に記している。

第六章「羽根飾りつき大礼服」
本章のタイトルにある礼装は女性の礼装である。誰がつけたのかというと、ローグの妻であるマートル・ローグのことである。夫妻とも元々庶民だったのが、アルバートを診断し、主治医になったことにより、貴族の振るまいが要求された。

第七章「嵐の前の静けさ」
1929年から30年代半ばまでは「平穏な日々」立ったのだという。しかし次章で述べられる「嵐」がやってくると言うことはまだ誰も知らなかった。

第八章「エドワード8世の327日」
ジョージ5世の崩御後、次の国王になったのはエドワード8世である。1936年のことであったが、本章のタイトルにあるとおり1年足らずで退位してしまい、英国王室史上稀にみる危機を迎えることとなった。

第九章「戴冠式の前夜」
次の国王となったのはアルバートとなり、ジョージ6世と名付けられることになったのだが、実を言うと、「押しつけられた王位」と呼ばれた。その理由は第八章から通じるものとなるのだが、エドワード8世が退位した理由は結婚歴のある女性と結婚することによるものだった。そもそもアルバートは王位継承者であったのだが、王位を取ろうと思わず、退位したエドワード8世により「押しつけられた」形となったからである。

第十章「戴冠式のあと」
第一章にて戴冠式が行われた後に新聞各社をはじめとしたメディアは絶賛の嵐となった。その後国会開会式など様々なスピーチを行うことになったが、いずれも大成功となった。

第十一章「第二次大戦への道」
やがてイギリスは第二次世界大戦に巻き込まれることとなった。その戦争への足音が聞こえだしたとき、ローグから見たジョージ6世の姿は、穏やかさはあったものの、神経質そうに見えたのだという。

第十二章「オーストリア人のペンキ屋を殺せ」
本章にある言葉は1939年、時の英国首相ネヴィル・チェンバレンがドイツ・イタリアの枢軸国に向けて宣戦布告をした日に、ローグが記した言葉である。個人的な感情でなく、イギリス人が全員一致した願いを書き記していた。

第十三章「ダンケルクと暗黒の日々」
イギリスは第二次世界大戦の戦禍に巻き込まれることになったのだが、ナチスドイツの攻めに屈し続けた。そのため、不利な状況を打開しようと模索し続けた日々を「暗黒の日々」と定義づけた。

第十四章「形勢逆転」
形成が不利から有利な宝庫へ逆転したのは1943年の北アフリカ戦線の時である。そのときにはムッソリーニ率いるイタリアが無条件降伏し、ドイツに宣戦布告したことにあった。ジョージ6世はラジオ放送で演説を行い、イギリス国民をこぶし続けた。

第十五章「勝利」
イギリスが勝利を迎えたのは1945年5月8日のことである。ドイツ軍が無条件降伏を受け入れ、西欧の戦争が終結したのである。その勝利宣言の演説もジョージ6世は全うした。

第十六章「最後の言葉」
イギリス国王・ジョージ6世の最後の演説となったのは1951年のクリスマス・メッセージのことである。このときのジョージ6世は大病を患い、大手術を受けた後のこともあり、声がかすれていたのだという。その翌年の2月5日に崩御された。そのころローグは闘病生活にあったのだが、崩御の翌年にあたる1953年4月26日、国王の後を追うように逝去した。

その後当時のメディアではローグを賞賛する記事があったのだが、ジョージ6世の妻である皇太后・エリザベス(・ボーズ=ライアン)が長年公表を拒んできたことにより、ローグの活躍が世に出ることはほとんど無かった。そして2002年に皇太后が崩御された後に、「英国王のスピーチ」の構想が練られるようになり、2010年に映画として表されることになった。

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