迷惑行為はなぜなくならないのか?―「迷惑学」から見た日本社会

迷惑行為というといろいろあるのだが、私の周囲でもそういった行為がちらほら見かける。そもそもなぜ彼らは迷惑行為を行うのか、そしてなぜ一連の行動を「迷惑行為」というのか、本書はそのことについて取り上げている。

第1章「なぜ、夜の幹線道路は誰も制限速度を守らないのか?―「記録的規範」と「習慣」の影響力」
本書における問いとして、

「多数派の考えや行動は、本当に望ましいことなのか」(p.25より)

がある。「誰でもやっていることだから」とか「みんながやっていることだから」正しいのは、私としては正しい理由につながらない。最も格言の一つとして、

「大衆は常に間違う」

というのがある。そのことについて著者が体験した「クーラー問題」や道路の制限速度といったものが挙げられる。

第2章「電車内では携帯電話の電源を切るべきか?―迷惑行為と、場所・時代の関係」
電車の中に入ると

「優先席付近では携帯電話をお切りいただき、それ以外はマナーモードにしていただき通話はご遠慮ください」

と注意される。その根拠としてはかつて心臓ペースメーカーが影響しているといわれているが、最近ではペースメーカーの進歩によって携帯電話からくる電磁波の影響を受けなくなった。また「周りのお客様のご迷惑になるので」というアナウンスを行うところもあるのだが、それもまたおしゃべりや化粧と言ったことがよっぽど迷惑になるのではというイ意見もある。(本章ではほかにも飛行機と携帯電話の電磁波の関係について取り上げているが、航空法施行規則により禁じられているところがあることからここでは割愛する)

第3章「なぜツイッター騒動は繰り返されるのか?―ルールと迷惑の微妙な関係」
「ルール」は人間同士が生きていくうえ、社会の中で生きていくうえで必要なことである。しかしそのルールは「暗黙の了解」や「慣例」というようなものもあれば、ルール同士で衝突が起こることもある。ルールは人間関係を円滑にする役割を持っているのだが、そのルールの解釈や持ち方によっての「差」によって衝突が起こるのかもしれない。
本章ではほかにタイトルにもある通り、昨年起こったツイッターならぬ「バカッター騒動」についても取り上げている。

第4章「どうすれば列の横入りをやめさせられるのか?―迷惑行為の抑止策」
列の横入りに限らず、ルール違反を行うようなこと、またそれに近い迷惑行為が横行しているのだが、それを行っている人々は「法律に違反しているわけではない」「誰でもやっている」「自分の行為はたいしたことではない」と理由をつける。そのような風潮の中で、どのように抑止していけば良いのか、本章にて取り上げている。

第5章「ベビーカー問題はどうしたら解決できるのか?」
ベビーカー問題は首都圏の電車でよく起こっている。一例として挙げると、

・電車にベビーカーと一緒に乗る
・駅のエスカレーターでベビーカーと一緒に乗る
・ベビーカーとともに駆け込み乗車をする

といったものがある。その中で「ベビーカーは邪魔か否か」という議論から多角的に考察を行っているのだが、あくまで本書では「暫定的な見解」までだった。

迷惑行為は今も昔も存在するのだが、それを根本的に解決する方法はない。なぜ「ない」と言い切れるのかというと、複数の人間のいる集団の中でルールをつくり、円滑にしようとしても、それを破るもの、それを逆手にとって迷惑をかけるものもいれば、逆にルール通りにやっているにもかかわらず、迷惑ととってしまう人がいるからである。もちろん個々の迷惑行為について解決するのかというと、それは可能であるが、いたちごっこのように新しい迷惑行為が生まれてしまう。