私自身学生時代は男女共々体育の授業はジャージであるため、ブルマーを見かけることすらなかった。しかしながらマンガなどでブルマーを見ることがあり、中には「萌え」要素の一つとして主張している人もいる。ところがブルマー自体は戦後日本の学校で定着していたのだが、そもそもブルマーはなぜ誕生し、定着していったのか、その経緯を述べているのが本書である。
第1章「ブルマーの謎と来歴」
元々ブルマーが誕生したのは体操着の一種としてではなく、「下着の一種」としてであった。19世紀中頃アメリカの活動家によってコルセットに反発して、ゆとりのある下着として生んだのがブルマーであった。諸説はあるものの、一番有名な説としてこのことがある。しかしそのブルマーが日本に伝来したのは1903年であるのだが、伝来するまでの間に動きやすさから体操着として使われ出し、日本でも「体操着」として紹介された。
第2章「密着型ブルマーの普及と風説」
ブルマーがより使われ出し始めたのは1940年代後半、大東亜戦争後のことである。その時につくられたのは「密着型ブルマー」であるのだが、それがスタンダードな「ブルマー」として普及する動きがあったという。
第3章「中体連とブルマー」
体操服として「密着型ブルマー」が定着した要因の中には「中学校体育連盟(以下:
中体連)」の要因もあったという。その中体連は何をきっかけにしてブルマー普及に貢献したのか、そのことを中心に取り上げている。
第4章「全国中体連の設立と変貌」
「中体連」といっても中核にあたる「全国中体連」もあれば都道府県の地域に根ざしている「都道府県中体連」がある。それぞれ設立の経緯は異なるのだが、中体連自体が設立したのはブルマーが普及し始めたのとほとんど同じ時期である。なぜ中体連が設立され、どのような役割を担っていったのか、そのことを取り上げている。
第5章「密着型ブルマーの普及過程」
密着型ブルマーの普及を行ったのは中体連ばかりではない。スポーツ衣料の製造・販売を行うような業者もまた積極的に関与していた。ちなみにその「業者」は専門的に扱う企業ではなく、それも事業の一部として行った商社であった。
第6章「密着型ブルマー受容の文化的素地」
戦後間もない頃から普及し始め、定着していったのは1964年の東京オリンピックが行われたときのことである。定着した要因は先述のオリンピックの時期に広告が出されたり、代表選手が着たことによるものだったという。
第7章「密着型ブルマーの消滅過程」
しかしそのブルマーは「性的シンボル」として扱われるようになり、今で言う所の「セクハラ」の省庁の一つとして槍玉に挙げられ、消滅の一途を辿っていった。
第8章「ブルマーの時代」
ブルマーが定着した歴史は30年あまりであるのだが、その時代はいったいどのような意義を成していたのか、そこには戦後日本の歴史的な意味があるのだという。
ブルマーは過去のものかというと、肯定的な側面もあれば、否定的な側面もある。とはいえすでに定着しているとは言い難い部分がある。今となっては二次元的な要素として挙げられることが多いのだが、体操着としてのスタンダードであった時代があった。その背景と、衰退が本書を読むとよく分かる。
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