鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。

本書のタイトルを見てふと思ったのが「それを言ってしまったらオシマイ」であった。もっとも鳥類学者に限らずとも、車のディーラーだったり、様々なジャンルに特化している人たちはおしなべてそのジャンルが好きだというわけではない。もっというとそのジャンルが大嫌いでありながら嫌々と働いている人もいる。

ジャンルに限らず「そのジャンルが好きと思うなよ」という人はいるのだが、本書はあくまで鳥類学者の遍歴を綴りながらも、鳥類を研究することの面白さを伝えている。

第一章「鳥類学者には、絶海の孤島がよく似合う」
鳥類の研究はありとあらゆる所にて行われ、絶海の孤島でも行われるのだという。それはさておき、取りの中にもニワトリのように飛ばない鳥もあり、他にもエサや生息地などの種類によっても習性は様々である。

第二章「鳥類学者、絶海の孤島で死にそうになる」
いきなりデンジャラスな話になるのだが、南硫黄島における研究の中で、まさに死の淵に立ったような話があったのだという。その話について取り上げているのが本章である。

第三章「鳥類学者は、偏愛する」
鳥類学者の中にはその取りの種類しか愛することができないと言った「偏愛」を持つような鳥も少なくない。なぜ学者によって偏愛をするのか、自らの体験から綴っている。

第四章「鳥類学者、かく考えり」
鳥類の研究をすることはいったいどのようなことか、そして鳥類の習慣とはいったいどこから来ているのか、そのことを長らく考えているそうなのだが、どのような考えを巡っていったのかそのことを取り上げている。

第五章「鳥類学者、何をか恐れん」
第二章における南硫黄島にて死の淵に立つようなことがあったということがあれば、恐れることはほぼ無いと言うに等しい。それに限らず、命の危機に巡り会うようなこともあるのだが、それもまた研究の一環なのかもしれない。

第六章「鳥類学者にだって、語りたくない夜もある」
鳥類学者は語ったり、論文を書くことも仕事の一つであるのだが、そうしたくないときも時にはある。その時のことを自らの体験から綴っている。

ハッキリ言うと鳥類学者としての仕事が楽しくなければ、そもそも本書は書くことがない。本当に鳥が嫌い、あるいは学者の仕事は嫌々ながらやっているのであれば本書は書かずに淡々と研究していたはずである。鳥は好きとは限らないのだが「鳥類学者」の仕事は好き、そしてそれを伝えたいという思いがあってこそ本書を刊行したのかもしれない。