AI時代に「頭がいい」とはどういうことか

AIの技術進化は著しくあり、今となってはIoTなど身近な所で使われるようになった。機械が意志を持つわけではないのだが、学習能力を高め、機械が考え出すようにあったのだという。AIの台頭により、人間の思考は用済みになったイメージを持たれるかもしれないのだが、人間でしかできないことはまだたくさんあると言える。またAIが使われる時代において、人間として「頭がいい」ことは必要なことであるのだが、その定義は変わってきている。その定義はどのようなものか、本書は脳科学の観点から取り上げている。

第1章「「頭のいい脳」とは何か」
「頭のいい脳」とは何か、定義は人それぞれなのかもしれないのだが、記憶力や判断力、さらには脳機能によって変わってくることもある。また脳機能によって良い面・悪い面と言ったものがあるのだが、いずれも「紙一重」のような印象を持ってしまうのだが、相反する機能の比較をしながら「頭のいい」定義についてを見出している。

第2章「「天才たちの脳」の秘密」
「天才」といっても科学・文学・芸術・実業などの面においての「天才」は存在する。その天才はいかにして「天才」となり得るのだろうか、本章ではそのことについて取り上げている。

第3章「「頭のいい脳」はこうして動き出す」
「頭がいい脳」はつくる事ができる。とは言ってものうのう時をどのようにするかによって脳の「運動」を行うことでつくることを定義している。どのように動かしたら良いのかを本章にて伝授している。

第4章「これからの時代に求められる真の「頭のよさ」とは」
頭の良さを「測定」することは難しいのだが、本章ではIQ(知能指数)で測ることができるのか、また脳の動きによってどのように「頭のいい」と判断ができるのかを分析している。

第5章「自分に合った「頭のよさ」をつくる」
そもそも「頭がいい」は人それぞれであることは第1章でも述べたのだが、自分自身に会った「頭のいい」をつくるために、脳の動きはどうしたら良いのかを取り上げている。

私自身「頭のいい」象徴としては以前にも書いたのだが、噺家の林家木久扇師匠である。噺家でありながらも、木久蔵ラーメンをつくるなどのマルチな活躍をしている傍ら、笑点では誰でも分かるようなダジャレを答えて出演陣に呆れられ「バカ」呼ばわりされるのだが、それだけのキャラクターをつくり、醸成しているところに頭の良さがあると考えている。私自身は周囲から生真面目と言われるのだが、そう言う方向で生真面目になるのも良いかと思うのだが、脳科学的にどのような動きをしたら良いのか未だにわからない。その分からないから脱するためのヒントが本書にあるのかもしれない。