蘇るサバ缶 震災と希望と人情商店街

昨今では「サバ缶ブーム」なるモノが起こっている。もっとも私自身もサバ缶(もとい青魚全般)は好物であり、水煮に限らず、味噌煮などあらゆるサバ缶を購入しては朝食で食べることが多くある。

本書の話に入る。本書は宮城県石巻市にある缶詰工場が舞台となっており、その工場はサバ缶なども作られたのだが、今から8年前の東日本大震災により工場は壊滅。100万缶もあったサバ缶も津波で飲み込まれた。そこから復活までの軌跡を綴っている。

第1章「100万缶を飲み込んだ津波」
2011年3月11日午後2時46分。
誰もが忘れられない時である。そう、東日本大震災の一つとなった東北地方太平洋沖地震が起こり、この地震により工場は壊滅、社員たちも避難を余儀なくされた。また行方不明になる社員も出てきたが、奇跡的に助かり、復旧・復興に向けて動くようになった。その中で現在笑点の司会を務める春風亭昇太とのエピソードも明かしている。

第2章「洗って運んで売る心意気」
100万缶流出したのだが、その中で泥まみれの缶詰もあった。しかしながら缶詰は密閉しているため、洗うことによって売り出すことができる缶詰も出てくるようになった。町を挙げて缶詰を提供して、復興を支援するという動きができ、石巻の復興の一翼を担うこととなった。

第3章「つながる広がる応援の輪」
泥だらけの缶詰からの復活が復興支援のイベントになって広がりを見て、「応援の輪」ができるようにまでなった。新聞やテレビなどで多く取り上げられていった。それと同時に復興から新しい商品を生み出す試みもあった。

第4章「工場再建で奇跡の復活」
泥だらけの缶詰を掘り尽くし、そして新しい商品を生み出すまでに至った。また復興支援の恩恵を受けて、ついに工場再建もでき、震災前の状態に戻った。

第5章「22万缶に詰まっていた物……」
売上も震災前の状態に戻るようになり、今度は成長に向けて動きを見せるようになった。新しい缶詰だけでなく、異業種とのコラボなど、様々なチャレンジを続けている。

一時は廃業になるかもしれない絶望から救ったのは津波の被害に遭いながらも、掘り起こされた22万缶の缶詰たちの「奇跡」に他ならなかった。その奇跡にまつわるエピソードのなかで苦労する場面もあったのだが、震災の苦難から復興し、そしてこれからへの「標(しるべ)」となった奇跡の物語がここにあった。

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