信長の革命と光秀の正義 真説 本能寺

今年の大河ドラマである「麒麟がくる」は新型コロナウイルスの影響により、撮影が一時休止しただけでなく、撮影開始前にはある女優の不祥事により、配役変更など、トラブル続きと言われている。しかしながら心待ちにしているファンも多く、なおかつ話が進むごとに新しい配役が発表されては、期待を寄せる方々も多いことである。

その「麒麟がくる」の主人公は本書で紹介する明智光秀であり、なおかつ光秀のなかでの最大の出来事である「本能寺の変」が舞台である。明智光秀自体出自を始め、本能寺の変の原因などについて未だに謎が多く、歴史学でも議論が絶えないほどである。そこで本書は明智光秀の出自から、本能寺の変がなぜ行われたのかについてまで取り上げている。

第一章「光秀単独犯行はありえない」

よくある説としては明智光秀および、光秀が抱えている1万3千もの軍勢が本能寺を包囲して、討ち入りした。その時に本能寺にある御殿に火がかけられ、そしての織田信長は自害した。しかしその犯行自体は光秀だけで行っていたのかというと、そうではなく、著者は近衛家17代目当主である「近衞前久」が絡んだのではないかと指摘している。

第二章「謎だらけの明智光秀」

冒頭でも述べたとおり明智光秀の出自を始め、動機などについて謎が多い。光秀の生まれから、出世に至るまでの道筋について追っているのが本章である。

第三章「革命家信長の光と闇」

元々織田信長は合理的な人物でありながら、なおかつ野心が強かった。その中でも太上天皇と呼ばれる天皇をも超える位になろうとしたこと、また天下統一を行う、いわゆる「天下人」になろうとした所もあった。その合理的な考えから、関係が酷薄であり、比叡山延暦寺焼き討ちを始め、2万から3万の人を殺したとも言われている。残虐性が強いというのは一般の歴史でも評価されているのだが、その一方で茶の湯などの文化にも愛好した側面を持っている。近年では信長の評価について見直しが行われており、光・闇両方の側面から追っているのが本章である。

第四章「戦国時代はグローバル社会だった」

元々信長の生きた戦国時代において、海外に目を向けてみると、その時代は「大航海時代」だった。植民地もさることながら、未開の地を求めて航海をする時代だったという。この時代には日本も例外ではなく、ポルトガル人が初めて種子島に入ったのも1543年の所、さらには次章でも紹介するキリシタンのきっかけとなったフランシスコ・ザビエルが1549年に来日している。実質的に鎖国のように見えながらも、新しい文化や概念・技術などが日本に伝来したのもこの時代である。特に有名なものでは「鉄砲」などがあった。信長はそれら外国の技術や文化などに興味を持つようになり、前章で言及した「太上天皇」を目指したとも言われている。

第五章「戦乱の日本を覆うキリシタンネットワーク」

信長はキリシタンの迫害は行わず、むしろ保護を行った。もちろんキリスト教布教についても容認の立場であった。そのことで朝廷との対立もあった。朝廷は外国の宗教が入ることを恐れての対立であった。キリスト教の布教は大名にまで及び「キリシタン大名」まで生まれたほどである。「戦国」という激動の時代の中でキリシタンの立場は変化をしていった。信長は容認したキリシタンは、天下の後を受け継いだ秀吉によって追放を行うようになった。

第六章「「本能寺の変」前と後」

戦国時代は多くの文化が誕生し、発展して行ったのだが、秀吉、そして徳川家の時代になって行くにつれ、鎖国的な風潮を強めるようになった。そして江戸時代の時に「鎖国」が行われるようになった。本能寺の変は開かれつつある社会が変わっていく、ある種のきっかけにもなったのである。

本能寺の変は明智光秀の所も含めてまだまだ謎が多い。本書でも新しい説をもとにしているのだが、それが確実かどうかについては今後の議論の中で生まれてくることだろう。しかしながら明智光秀と本能寺の変の説における新しいものについて触れることができる良い一冊であった。

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